JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

創痍の巻

2015年07月21日

嗚呼、痛い。
日焼けが痛い。
毎年恒例、遊び耽る3日間。
今年もついに終わってしまった。
川に海にBBQに温泉にライブに・・・
余力など残さず、ただひたすらに遊ぶ。
満身創痍、身体は傷だらけ。
まるで小学生の夏休みのようで
何とも可笑しく、切なく、淡い感情に耽りながら
布団にもぐりこみ思い出を漁る。
また来年、同じ場所で。

見識の巻

2015年07月16日

右へならえの現代社会。
これほどインターネットが網羅しているというのに
事の本質を辿らず目先の情報に盲信する。
一方通行の情報媒体しかなかった過去に比べ
今は誰であっても自由に好きな情報を搾取できる時代だ。
「一つの考え」に執着してしまうと人は途端に盲目となって
どれほど自身に有益な情報であっても見落としてしまう。
どんな物事でも必ず多面的な見方、考え方があり
それらを上手く吸収し、自身の見識とするのが成長である。
これが出来ぬ人間は、どれだけ歳上だろうが私は敬うことはない。

サハラの巻

2015年07月13日

ついに体組織計を購入。
だから何だという話ではあるが
ジジイになってもモテるために
ある程度は見てくれも維持しておきたいのである。
恐らく私の頭皮はもうあと何年もすれば草臥れて
サハラ砂漠の如く枯渇してゆくことだろう。
そうともなれば、せめて体型だけでもスラっとしておかなければ
女性どころか犬にも猫にも振り向いて貰えぬ中年男に成り下がるのは目に見えている。
「人は見た目じゃない」というセリフは
それは自己を正当化するセリフでもある。

7月の巻

2015年07月03日

無機質な町並みに
紫陽花が彩りを宿してゆく。
その端正な肉弁には、雨の粒が宝石のように煌き
雲間の薄い陽光を留めている。
それが熾盛な生命感を生み
この灰色の鈍重な世界で一際浮き立って見える。
微睡みにたゆたう薄倖。
気付かぬうちに流れ去る欣幸。
いつかこの世から消え去ってしまうことの不安よりも
誰かが自分の前から姿を消してしまうことの方が妙に吃緊で
地の果ての遠雷を見るように
まだ来ぬその日に小さな怯えを隠し切れずにいたりする。

償いの巻

2015年06月24日

梅雨の晴れ間。
柔らかい繭に包まれたような
朗らかな安堵が取り巻いている。
忙しない日常、果てしない途上。
愚直に生きるのも馬鹿らしいが
この酷薄な世情において
懐疑ばかりでも退屈である。
不器用に生き、器用に死す。

盛りの巻

2015年06月21日

それは曇天の匂いに紛れてやってきた。
まだ幼かった頃。
夏の盛りを迎える前の、ちょうど6月の今時分であった。
山間いの田舎町に雨の時期がやってくると
播磨富士が神々しく霧に浮かぶ。
取り立てて高くはないが
地の人間からは「笠形さん」と親しまれている山だ。
濛々たる煙霧が空まで届き
極楽へと続く道のように荘厳な情景を露にする。
陽が落ちれば、川辺に小さな明かりが灯る。
それは一つ二つと次第に広がり
気付けば眼前には蛍の乱舞が現れる。
まるで女郎花が乱咲しているように
幾万の蛍火が眩ゆく暗闇を照らし出すのである。
木々の揺れる音
川のせせらぎ
蛙の聲
それ以外は一切の静寂だ。
なにもない。
恬淡、佳絶の極み。
そんな生暖かく風のない夜は
決まって鼻を掠める匂いがあった。
土の匂い、草の匂い
それらが交じり合った田舎特有の匂い。
春でも夏でも秋でも冬でもない。
この6月の雨の時期でないと感じることができない匂いがある。
それがふと、この大都会のど真ん中にいながら鼻を掠める瞬間がある。
風にのってやってきたのか
雨に運ばれてきたのか
大人になった今でも、それらは私をあの銀河の一片へと連れ戻してくれる。

先行きの巻

2015年06月20日

古鼠はゆく。
気にも留めず。
抗いを苦にせず。
古鼠はゆく。
謙らず。
冗漫に拘らず。
古鼠はゆく。
明日も見えず。
明日さえ知らず。
ただ 、そうしたいからゆく。

懐疑の巻

2015年06月17日

人は誰しもが自身の人生に疑問を覚える瞬間が一度はある。
これでいいのか?
もっと別の生き方があるんじゃないのか?
多くの人に出会い、世の多くを知れば知るほど
まるで自分の生き方が無聊に思えてきて
妙な躁急に急かされしまう瞬間。
どれほど現状に満足していたとしても
「あの時、あの道を選んでいたら・・・」なんて
虚心の欠片を一つでも拾い上げると
ありもしないサイドストーリーがパラパラと描写される。
後悔せぬよう、やりたいと思ったことは大抵勢いでやってしまった方がよい。
そうすれば余計な杞憂はなくなり
胸の奥に詰まる蟠りのようなものはなくなってしまうことだろう。

鬱情の巻

2015年06月12日

雨はこの世界を途端に変えてくれる。
戯しく雨粒が踊るのを窓辺で眺めていると
まるで自分が別世界にいるような感覚である。
夜がきて雨上がれば
車道には街角のネオンが逆さまに姿を現し
鏡を敷いたようにキラキラと
まるで地底に煌びやかな町並みがあるのではないかと錯覚させる。
大層に美しいものだ。
このときばかりは雨もいいものだと思う。

本能の巻

2015年06月07日

脹やかに整った女の下肢というのは哲学である。
それらは男にとって自身の性的意義を考えさせ
時として様々な感慨を産ませる魔物である。
生物学的に見れば、男というのは
「元気な赤ん坊を産んでくれそうな健康な女」を本能的に求める。
私もどちらかといえばそちらのタイプだ。
四肢に程よく肉が付き、肌はうっすらと陽の色を宿し
勁健な血流が隈なく流れているような溌剌とした肉体に
蠱惑的な魅力を感じるのが、いわば「本能」である。
ところが
子鹿のように筋ばんだ繊美な肉体で
瑠璃色に血筋が浮かぶような白い女が好きだという男児も多い。
しかし言ってしまえばこちらもまた本能である。
メスを守ってやりたいとするオスの本能。
では本能ってのは一体何なのだという話になってくる。
「この女とセックスしたい」という所感が本能なのか
「セックスは関係なく守ってやりたい」という所感が本能なのか。
人間は動物的であり、動物的でない。
動物というのは思弁を持たぬからこそ本能のまま動くのであって
思弁を手に入れた人間はすでに本能など一切持ち合わせていないのかもしれない。

 
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