JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

逸脱の巻

2015年08月25日

少しばかり涼風が吹き始めた。
今年の残暑は厳しいと毎年のように聞いている気がするが
一歩一歩、着実に次の季節が近づいている今
名残惜しさと妙な焦燥感が、この涼風を小さく煽った。
近頃、時間を見つけては夜釣りに出かけている。
有難いことに大阪の河川はシーバス、チヌに恵まれている。
何より、ほんの少し車を走らせるだけで
大都会の喧騒が突如姿を消して、静かに釣りに没頭できるのだ。
この時間が何とも充実していて
日常の柵や、些細な不満であっても
釣り糸とともにそれらがスッと川の奥底へ沈んでいくような気さえする。
日常から逸脱してこそ見えてくる本質もあるのだろう。

夏輝の巻

2015年08月19日

花笑みのような夏の空は万緑を映して
それはそれは開放的であって、新しい芽吹きを感じさせる。
太陽は片影を探すように高く登っていた。
世間もしばらく喧騒を忘れていたかと思うと
盆の侘しさは涼風とともに去っていった。

 
盆休みなど世間様にとってはまさに地獄の数日である。
上司から案件の一つでも取ってこいと捲くし立てられるものの
お相手様はみな休業中。
外回りに齷齪しているオッサン連中は
行く当てもなくただ落日の公園で肩を落とす。
なんと世知辛いものであろうか。

万感の巻

2015年08月12日

茂る夏草は万感の想いに揺れている。
森の雫が追憶を宿して、それが大地へと染み渡る。
雲路は虚しく、山際に落つる。
夜を重ね、日毎に思うのは
歳月の過ぎるのが早いわけではなくて
我々が歳月よりもなお早く進んでいるということ。
時間が過ぎているように錯覚してしまいがちだが
そもそも時間というのは物差しと同じで止まっている。
つまり我々は長い物差しの上を歩いているのだ。
それが時間の概念である。
いつだって変わってゆくのは「周り」ではなく「そのもの」だ。

夏の午後の巻

2015年08月05日

空蝉が夏の盛りに虚しく佇んでいる。
鈍く光る唐木色のそれは、もはや命の火を落とし呆然と大界を仰いでいる。
季節はずれの藤が頭を垂れて、その藤波の軽快な彩りが
俗世間の喧騒も、下らぬ世迷い事もすべて押し流すようにある。
君がため 尽くす心は 水の泡 消えにし後は 澄みわたる空

夕凪の巻

2015年08月01日

心が凪ぐ。
ほんの微風に揺らぐ深い森の湖畔のように
それは音もなく、ただじっと玉響の時を刻んでいる。
和平を望んでいるわけでも
争いを望んでいるわけでもない。
人は誰だって目先の幸せを掴みたいものだし
出来ることなら平穏に毎日を過ごしたいものである。
正廉など程遠く、私利私欲がこの世界を組み立てている。
人は自身の平和を求め、世界平和は虚言に終ってゆく。

関係の巻

2015年07月28日

揉め事や諍いなど猥瑣を好む輩は何時の時代もいるものだ。
火のない所にわざわざ火をつけ煙を立たせるのは随分と馬鹿げている。
SNSの類はすっかり止めてしまった。
根本的に人様の私情には興味がない。
況して、悪口や文句ばかり垂れる頑愚な暇人には付き合いきれん。
人間関係を篩にかける気など毛頭ない。
しかし直接連絡をくれる仲間や知人を大事にしたいというのが本音だ。
悉く世間の話題性に取り残される実感は否めないが
人跨ぎの噂話など取るに足りない話題である。

絶色の巻

2015年07月24日

絶色を極めた夏の空。
肥壮な入道雲はじっと街を見下ろしている。
この胸を掻い摘むような小さな不安はどこから来るのだろうか。
夏が来る悦びには、それらが去ってゆく悲しみも含まれているのだと
歳いくたびに大人びた感慨を抱え持つようになった。
何であってもそうなのだ。
始まりがあれば終わりがある。
友情、愛情とは違い
一年経てば何もなかったように戻ってくる季節ではあっても
やはり目の前から過ぎ去っていく物悲しさは同じようだ。

都心の巻

2015年07月23日

都心の下拙な暑気がじっとりと首筋を這うのを
もはや懐かしくも感じてしまうほどに
気付けば大阪での生活も随分と長く経ったものだ。
清閑な地中から突如飛び出た蝉の幼虫のように
あらゆる枉惑に右往左往し、ようやく眼前の木を登り始めた。
出てきた穴へ戻れば楽なことは知っている。
しかし、あの群青の大空へ羽ばたくには登らねばならぬ。
無碍な生き方などあるはずもないが
人はいつだって無難な道を選びたがるものである。
無難に価値なき。
有難こそまさに有難き。

創痍の巻

2015年07月21日

嗚呼、痛い。
日焼けが痛い。
毎年恒例、遊び耽る3日間。
今年もついに終わってしまった。
川に海にBBQに温泉にライブに・・・
余力など残さず、ただひたすらに遊ぶ。
満身創痍、身体は傷だらけ。
まるで小学生の夏休みのようで
何とも可笑しく、切なく、淡い感情に耽りながら
布団にもぐりこみ思い出を漁る。
また来年、同じ場所で。

見識の巻

2015年07月16日

右へならえの現代社会。
これほどインターネットが網羅しているというのに
事の本質を辿らず目先の情報に盲信する。
一方通行の情報媒体しかなかった過去に比べ
今は誰であっても自由に好きな情報を搾取できる時代だ。
「一つの考え」に執着してしまうと人は途端に盲目となって
どれほど自身に有益な情報であっても見落としてしまう。
どんな物事でも必ず多面的な見方、考え方があり
それらを上手く吸収し、自身の見識とするのが成長である。
これが出来ぬ人間は、どれだけ歳上だろうが私は敬うことはない。

 
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