JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

富豪の巻

2016年07月04日

よくテレビなんかで、大富豪や会社社長が大きく散財しているのを見て
「あんなに贅沢しやがって!ムキー!」と僻んでしまう人も多いだろうが
ハッキリ言って世の中の一定数以上の大富豪には、
もう一ケタも二ケタも多く、ガンガン散財してもらわねば困る。

 

たとえば年収10億の富豪が、一度の晩飯に10万使ったなんて聞くと
とんでもない贅沢のように感じてしまうが、
年収500万のサラリーマンに換算すれば、晩飯に200円しか使っていないのと同じである。
年収200万のフリーターが風俗で2万使う方がケタ違いに贅沢をしているではないか。

 

とにかく、何度も口酸っぱく言っているように
金を使わない金持ちが一番の害だ。
これは僻みでも妬みでも何でもな い。
稼いだからには使ってもらわねば採算が合わない。

私も含め、低所得者が躍起になって消費したところで、
世の中に回る金など高が知れているのだから。

富の一極集中する東京だけではなく、
各地の地方自治体が少しでも潤うほどの消費がなければ
格差縮小などさらさら夢物語である。

時代の巻

2016年06月13日

いつしか、えらく生き辛い世の中になってしまった。
着実にすべてが便利になったものの、その利便性の代償は大きく、
どこか腑抜けた社会性が幅を利かしている。
私の少年時代は、まだまだ昭和の暮らしが色濃く残り、
金はなくとも人々が手を取りあい、日々を逞しく過ごしていた。
山間の名もなき集落のような田舎町ではあったが
子どもたちはみな活気に溢れ、里山を走り回っては、まっすぐ青春の真っただ中を生きていたものだ。
突如、彗星のごとく現れたファミコンのおかげで、
一時、町から忽然と少年たちが姿を消したこともあったが
それでも尚、私たちは飽きることなく夜の暗くなるまで泥にまみれて遊んでいた。
便利な時代ゆえに、人々は無駄を省きたがる。
やっても意味がないことは誰だってやりたがらない。
他に簡単な方法があるなら、わざわざ面倒なことはやらない。
そりゃそうだ。
しかし、何でもかんでも効率ばかり優先していたら面白くない。
昔の人間はそのバランスが上手かった。
携帯はなく、連絡は専ら自宅の電話であった。
ただ好きな子の声を聞きたいだけなのに、必然的に相手の親を仲介しなければならなかった。
だからみんな「何時頃に電話するから出てほしい」と事前に打ち合わせをしては
ひっそりと愛を確かめ合ったものだ。
だが、いかんせん小さい町だ。
当人たちはひっそりと言葉を交わしているつもりでも親たちはもちろん遠に顔見知りであって、
私たちの秘密の慕情はもろもろ筒抜けで ある。
そんなことは知る由もなく、純情な少年たちはそのはち切れんばかりの尋思を
夜が更けるまでしつこく語り合った。
しかし大抵は向こうの親御さんが堪忍袋の緒を切らし、ついには
「長電話禁止令」を我が子に叩きつけるのである。
無論、それは私たち男子に向けた親からのメッセージでもあって
いかに相手の親を手中に入れるかが勝負であった。
ポケベル、携帯が普及するまでは、本当にみな頭を悩ませたのだ。
今思えば、そういったやりとりは世渡りの縮図のようなもので、
携帯のなかった世代は随分と鍛えられたのではないだろうか。
昔は、恋愛ひとつでも面倒なことが多かった。
だが、それが面白かった。
そもそも、本当の意味で無駄を省くというならば
世 の中99%が無駄である。
生きることさえ無駄な気がする。
あえて陳腐な生き方をすることで
無駄を楽しめることもあるのではないか。

緩慢の巻

2016年06月10日

私としたことが、あまりにも放置しすぎてしまった。
もう読者など一人もいないのではないか。
継続とはまことに難しいものだ。
こんな、ブロガーの風上にも置けぬ体たらくな人間が
一丁前にコラムなどと世迷言を口にしていたことを一切合財謝罪したい。
この際、『●日に一度は書く』と自身に命じるべきか。
さて、気がつけば6月に突入し、夏がもうすぐそこまで来ている。
私はというと、車検に自動車税、バイクの税金に自賠責と根こそぎ持っていかれ、
もう首も回らぬ有様である。
いやぁ、参った。
ここ数年、貯金など下らぬことはやめて
地域活性のため有り金は使いきるという、
何とも節操があるのかないのか分からない生活を送ってきた。
お陰様で突発的な出費には対応しきれず、乞食の如く日銭を集めては耐えしのぎ、
どうにかこうにか生き長らえている。
私ぐらいの年齢だと、世間ではもう立派な社会人の仲間入りを果たし、
大きなプロジェクトを任され、それなりに部下ができ、
愛する家族ができ、一軒家を購入し、子どもと動物に囲まれて
幸せ溢れる日々を送ってらっしゃるのだろう。
どこでこうなった。
あぁ、同郷の好に合わす顔もなし。

彩りの巻

2016年04月07日

大阪の町並みも桃色に映えてきた。
そんな初春の彩りが紺碧の空に飲まれてゆく時の名残惜しさというのは
どこか旅の終わりを迎えるようで妙に寂しくもある。
本当に、驚くほどあっという間に月日が流れていく。
子供のころ、あんなにも大悠に流れていた時間が
今では駆け足で過ぎ去っていく。
今こうして爛漫に咲き誇る桜もいつか散り、
散った桜もいつか風に流され姿を消していく。
それがこの世の道理というものだ。
散財できるほの金はないが
自分なりに充実した日々を送れていると思うし
好きなことや物事、新しいことに恵まれ、刺激的な人生だと言える自負もある。
ところが、こうして一日が終わろうとする時に感じる切迫感みたいなものは
明らかに子供のころになかったものだ。
無限にあると思っていた時間、未来というものが
こんなにも一瞬に、手の届かぬ彼方へ去ってしまうようになった。
春も夏も、秋も冬も、
あと何度迎えることができるのだろうと、辛気臭く考えてしまう。
まだまだ青二才のくせして、何をセンチメンタルになっているのかと笑ってしまうが
悔いのないように生きることは難しい。
しかし少しでも、精一杯に日々を謳歌して、笑って死んでいける人生にはしたいものだ。

束の間の巻

2016年04月01日

いやいや、随分とサボッてしまった。
もうこのコラムの存在なんて忘れ去られてしまってるんじゃないか。
せっかく読んで頂いている方がいるというのに何とも不甲斐ない。
意地の悪い女じゃあるまいし、これ以上焦らすわけにはいかぬと
変に意固地になってパソコンの前にこうして座ったものの、
ハッキリ言ってとくに書くネタはなし。
まぁ色々あったといえばあったのだが。
まず直近のニュースといえば、うちのリュウくんの結婚である。
先週末、無事に挙式を終え、晴れて新しい門出を迎えたわけだ。
もちろん我々メンバーも揃って参列した次第だが、
参列者がどうにもこうにも不良ばかり。
そんな、ならず者たちが式中オロオロと涙しているのだから
結婚式というのは面白いものである。
大人ってのは不思議なもんだ。
悲しみの涙よりも、喜びの涙を流すことの方が多くなってくる。
葬式では笑い、結婚式で泣く。
一丁前に人の幸せを素直に喜び、祝ってやれる度量でもついたのだろうか。
とにかく仲間の幸せというのは本当にいいものだ。
本当におめでとう。

増加の巻

2016年02月08日

そういえば、訪日外国人が昨年度1900万人を突破したとか。
インバウンドにおけるマーケティングが今後の景気を左右する要となりつつある。
元来より、日本はこのインバウンド政策をずっと行ってきたわけだが
一時期の国際収支黒字に伴い、外貨獲得から輸出拡大にターゲットをシフトした。
しかしまた20ミリオン計画が立ち上がり、インバウンド獲得に向けて奔走しだした。
とはいっても、日本は明らかに観光産業が弱い。
ウィークポイントは多々ある。
世界的に見れば、まだまだ観光後進国なのである。
事実、一昨年の日本のインバウンドが1340万人なの に対して
フランスのインバウンドは8370万人。
なぜこんなにも差があるのか。
答えは簡単だ。
「サボっていた」からである。
フランスに劣らないほど、
日本には歴史的価値のある文化財や、観光資源があるはずだ。
さらに豊富な自然に、四季折々の美しい景観。
真夜中に女性が一人で歩ける治安の良さ。
そのまま飲める水道水、きれいなトイレ。
隅々まで行き届いたインフラ、ネット環境。
24時間営業店舗の多さ。
食事の美味しさ。
住人のマナーの良さ。
これら我々にとってはごく当たり前のようなことでも
ひとたび日本を出れば、これがどれほど恵まれているか実感する。
まさに旅行者の誘致に特化した国。
十分、インバウンド大国になれる余地がある。
サボらなければ、の話だ。
ではこれまで、我が国は外国へのアピールを十分に行ってきただろうか?
文化財保護のための予算なんてものは真っ先に削られ
せっかくの価値が見る影もなくガラクタになり果てる。
市区町村も頭の古い役人ばかりで
もっと素晴らしい部分を世界に見てもらおうという努力すら垣間見えない。
有名な観光名所だからと悦に浸って胡坐をかいているようでは
所詮そこまでの来客しか望めない。
いくら金のなる木があっても、水をやらねば枯れてしまうのだ。
無論、こういった観光産業の穴場を虎視眈々と狙っているビジネスマンも多いのだろうが
莫大な資金、もしくは奇天烈なヒラメキでもない限りは夢のまた夢である。

蟻地獄の巻

2016年01月19日

年明けからトントンとライブが終わり、気づけば正月気分など遠い空。
普遍的な生活など更々望んではいないが、のんびりと過ごしたいというような
妙に年寄りじみた感慨はいつだって心のどこかに潜んでいる。
心が満たされることなどない。
満たされないからこそ人は求めるのである。
一過性の満足に溺れたところで、心はすぐ乾き、また次の潤いを求めるものだ。
小さな満足は大きな欲望を生み、大きな満足は小さな不満を生む。
蟻地獄のごとく、いつだって欲望は渦巻いている。

軋轢の巻

2016年01月12日

何とも世知辛い世の中である。
盛運に恵まれた者もあれば、薄倖に縋る者もある。
人生に苦悶し、齷齪と日銭を稼ぐ若者を尻目に
怠惰に溺れ、泡銭をどっぷり溜め込んだ年寄りが人生を謳歌する。
憐憫の眼差しで同情するぐらいなら
その金、まだ余生有り余る若者にくれてやってはくれないか。
まさか墓の中まで持っていく気ではあるまい。
金だ金だと騒ぎ立てるのも滑稽ではあるが
地獄の沙汰も金次第。
下らぬ斟酌などに配慮せず、みな声高らかに言おうではないか。
嗚呼、金が欲しいと。
まぁ、耽溺に終始していたところで金など増えてはくれないが
貧困は窮状を生み、窮状は軋轢を生む。
やはりある程度は身銭が必要である。

屏息の巻

2016年01月05日

新年だからと殊更に改めてみても、特にこれといった真新しさはなし。
まぁ新居になったおかげで心なしか新鮮味はあるものの、普段と何ら変わらぬ日常である。
田舎へ帰省し、旧友と鍋を囲み暫く昔話に花を咲かせた。
珍しく実家へ寄ってみると、たちまち猫に威嚇され、肩身の狭い思いで眠りにつく。
恐ろしいほどの静寂。
夜が軋むのを聴くような冷たさがあった。
眠れずベランダへ出ると、億万の星屑が棚引いていて
まるで世界の果てを見ているような、居た堪れない感慨であった。
歳いく度、一人息子という妙な重圧が迫ってくる。
結婚なんてものは、下らぬ強迫観念でするものじゃあない。
かといってこのまま瘋癲生活を存えても木偶の坊で終わるのは目に見えている。
身を固めることへの恐怖心はいつになっても変わらぬもの。
「今まで好き勝手遊んできたし、そろそろ身を固めよう」というわけにはいかぬ。
そんな固めるテンプルのように簡単に身が固まってくれれば苦労はない。
いっそのこと、無人島へでも放り込んでくれれば楽なのだが。
余計な雑念など捨て去り、自給自足の日々に観念する。
ただ今日を生きることのみを懸命に考え過ごすことが出来たのならば
或いは何か路が見つかるかもしれん。
2016年、後悔なきよう突き進むのみである。

不肖の巻

2015年12月27日

寒い寒いと言ってはみても、昔に比べれば随分と冬も温かくなった。
かつては、こんな年の暮れにもなれば夜は凍て付き、底冷えの部屋に白い息が躍ったものだ。
朝になれば、表のバケツの水は月白に煌めいていた。
畦道の霜柱は足踏む度に音を鳴らし、それが静まり返った田んぼに吸い込まれていく。
大きく息をすれば、水晶のような、もう何の混じりっけもない空気が頭の芯まで届く。
滅多に雪の積もらぬ田舎町独特の、長く空空しい冬の生活は
驚くほどに静かであって、平遠の春をただじっと待ちわびるだけである。
ただ跌宕と毎日を過ごすことにとてつもない恐れを感じ
その度に「こんな田舎はもう真っ平だ」と憤慨しては都会に憧れたものだ。
いつからこんな不肖になってしまったのか。
離れてようやく分かることもある。
年明けぐらいは田舎へ帰ることにしよう。

 
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