JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

緩慢の巻

2016年06月10日

私としたことが、あまりにも放置しすぎてしまった。
もう読者など一人もいないのではないか。
継続とはまことに難しいものだ。
こんな、ブロガーの風上にも置けぬ体たらくな人間が
一丁前にコラムなどと世迷言を口にしていたことを一切合財謝罪したい。
この際、『●日に一度は書く』と自身に命じるべきか。
さて、気がつけば6月に突入し、夏がもうすぐそこまで来ている。
私はというと、車検に自動車税、バイクの税金に自賠責と根こそぎ持っていかれ、
もう首も回らぬ有様である。
いやぁ、参った。
ここ数年、貯金など下らぬことはやめて
地域活性のため有り金は使いきるという、
何とも節操があるのかないのか分からない生活を送ってきた。
お陰様で突発的な出費には対応しきれず、乞食の如く日銭を集めては耐えしのぎ、
どうにかこうにか生き長らえている。
私ぐらいの年齢だと、世間ではもう立派な社会人の仲間入りを果たし、
大きなプロジェクトを任され、それなりに部下ができ、
愛する家族ができ、一軒家を購入し、子どもと動物に囲まれて
幸せ溢れる日々を送ってらっしゃるのだろう。
どこでこうなった。
あぁ、同郷の好に合わす顔もなし。

彩りの巻

2016年04月07日

大阪の町並みも桃色に映えてきた。
そんな初春の彩りが紺碧の空に飲まれてゆく時の名残惜しさというのは
どこか旅の終わりを迎えるようで妙に寂しくもある。
本当に、驚くほどあっという間に月日が流れていく。
子供のころ、あんなにも大悠に流れていた時間が
今では駆け足で過ぎ去っていく。
今こうして爛漫に咲き誇る桜もいつか散り、
散った桜もいつか風に流され姿を消していく。
それがこの世の道理というものだ。
散財できるほの金はないが
自分なりに充実した日々を送れていると思うし
好きなことや物事、新しいことに恵まれ、刺激的な人生だと言える自負もある。
ところが、こうして一日が終わろうとする時に感じる切迫感みたいなものは
明らかに子供のころになかったものだ。
無限にあると思っていた時間、未来というものが
こんなにも一瞬に、手の届かぬ彼方へ去ってしまうようになった。
春も夏も、秋も冬も、
あと何度迎えることができるのだろうと、辛気臭く考えてしまう。
まだまだ青二才のくせして、何をセンチメンタルになっているのかと笑ってしまうが
悔いのないように生きることは難しい。
しかし少しでも、精一杯に日々を謳歌して、笑って死んでいける人生にはしたいものだ。

束の間の巻

2016年04月01日

いやいや、随分とサボッてしまった。
もうこのコラムの存在なんて忘れ去られてしまってるんじゃないか。
せっかく読んで頂いている方がいるというのに何とも不甲斐ない。
意地の悪い女じゃあるまいし、これ以上焦らすわけにはいかぬと
変に意固地になってパソコンの前にこうして座ったものの、
ハッキリ言ってとくに書くネタはなし。
まぁ色々あったといえばあったのだが。
まず直近のニュースといえば、うちのリュウくんの結婚である。
先週末、無事に挙式を終え、晴れて新しい門出を迎えたわけだ。
もちろん我々メンバーも揃って参列した次第だが、
参列者がどうにもこうにも不良ばかり。
そんな、ならず者たちが式中オロオロと涙しているのだから
結婚式というのは面白いものである。
大人ってのは不思議なもんだ。
悲しみの涙よりも、喜びの涙を流すことの方が多くなってくる。
葬式では笑い、結婚式で泣く。
一丁前に人の幸せを素直に喜び、祝ってやれる度量でもついたのだろうか。
とにかく仲間の幸せというのは本当にいいものだ。
本当におめでとう。

増加の巻

2016年02月08日

そういえば、訪日外国人が昨年度1900万人を突破したとか。
インバウンドにおけるマーケティングが今後の景気を左右する要となりつつある。
元来より、日本はこのインバウンド政策をずっと行ってきたわけだが
一時期の国際収支黒字に伴い、外貨獲得から輸出拡大にターゲットをシフトした。
しかしまた20ミリオン計画が立ち上がり、インバウンド獲得に向けて奔走しだした。
とはいっても、日本は明らかに観光産業が弱い。
ウィークポイントは多々ある。
世界的に見れば、まだまだ観光後進国なのである。
事実、一昨年の日本のインバウンドが1340万人なの に対して
フランスのインバウンドは8370万人。
なぜこんなにも差があるのか。
答えは簡単だ。
「サボっていた」からである。
フランスに劣らないほど、
日本には歴史的価値のある文化財や、観光資源があるはずだ。
さらに豊富な自然に、四季折々の美しい景観。
真夜中に女性が一人で歩ける治安の良さ。
そのまま飲める水道水、きれいなトイレ。
隅々まで行き届いたインフラ、ネット環境。
24時間営業店舗の多さ。
食事の美味しさ。
住人のマナーの良さ。
これら我々にとってはごく当たり前のようなことでも
ひとたび日本を出れば、これがどれほど恵まれているか実感する。
まさに旅行者の誘致に特化した国。
十分、インバウンド大国になれる余地がある。
サボらなければ、の話だ。
ではこれまで、我が国は外国へのアピールを十分に行ってきただろうか?
文化財保護のための予算なんてものは真っ先に削られ
せっかくの価値が見る影もなくガラクタになり果てる。
市区町村も頭の古い役人ばかりで
もっと素晴らしい部分を世界に見てもらおうという努力すら垣間見えない。
有名な観光名所だからと悦に浸って胡坐をかいているようでは
所詮そこまでの来客しか望めない。
いくら金のなる木があっても、水をやらねば枯れてしまうのだ。
無論、こういった観光産業の穴場を虎視眈々と狙っているビジネスマンも多いのだろうが
莫大な資金、もしくは奇天烈なヒラメキでもない限りは夢のまた夢である。

蟻地獄の巻

2016年01月19日

年明けからトントンとライブが終わり、気づけば正月気分など遠い空。
普遍的な生活など更々望んではいないが、のんびりと過ごしたいというような
妙に年寄りじみた感慨はいつだって心のどこかに潜んでいる。
心が満たされることなどない。
満たされないからこそ人は求めるのである。
一過性の満足に溺れたところで、心はすぐ乾き、また次の潤いを求めるものだ。
小さな満足は大きな欲望を生み、大きな満足は小さな不満を生む。
蟻地獄のごとく、いつだって欲望は渦巻いている。

軋轢の巻

2016年01月12日

何とも世知辛い世の中である。
盛運に恵まれた者もあれば、薄倖に縋る者もある。
人生に苦悶し、齷齪と日銭を稼ぐ若者を尻目に
怠惰に溺れ、泡銭をどっぷり溜め込んだ年寄りが人生を謳歌する。
憐憫の眼差しで同情するぐらいなら
その金、まだ余生有り余る若者にくれてやってはくれないか。
まさか墓の中まで持っていく気ではあるまい。
金だ金だと騒ぎ立てるのも滑稽ではあるが
地獄の沙汰も金次第。
下らぬ斟酌などに配慮せず、みな声高らかに言おうではないか。
嗚呼、金が欲しいと。
まぁ、耽溺に終始していたところで金など増えてはくれないが
貧困は窮状を生み、窮状は軋轢を生む。
やはりある程度は身銭が必要である。

屏息の巻

2016年01月05日

新年だからと殊更に改めてみても、特にこれといった真新しさはなし。
まぁ新居になったおかげで心なしか新鮮味はあるものの、普段と何ら変わらぬ日常である。
田舎へ帰省し、旧友と鍋を囲み暫く昔話に花を咲かせた。
珍しく実家へ寄ってみると、たちまち猫に威嚇され、肩身の狭い思いで眠りにつく。
恐ろしいほどの静寂。
夜が軋むのを聴くような冷たさがあった。
眠れずベランダへ出ると、億万の星屑が棚引いていて
まるで世界の果てを見ているような、居た堪れない感慨であった。
歳いく度、一人息子という妙な重圧が迫ってくる。
結婚なんてものは、下らぬ強迫観念でするものじゃあない。
かといってこのまま瘋癲生活を存えても木偶の坊で終わるのは目に見えている。
身を固めることへの恐怖心はいつになっても変わらぬもの。
「今まで好き勝手遊んできたし、そろそろ身を固めよう」というわけにはいかぬ。
そんな固めるテンプルのように簡単に身が固まってくれれば苦労はない。
いっそのこと、無人島へでも放り込んでくれれば楽なのだが。
余計な雑念など捨て去り、自給自足の日々に観念する。
ただ今日を生きることのみを懸命に考え過ごすことが出来たのならば
或いは何か路が見つかるかもしれん。
2016年、後悔なきよう突き進むのみである。

不肖の巻

2015年12月27日

寒い寒いと言ってはみても、昔に比べれば随分と冬も温かくなった。
かつては、こんな年の暮れにもなれば夜は凍て付き、底冷えの部屋に白い息が躍ったものだ。
朝になれば、表のバケツの水は月白に煌めいていた。
畦道の霜柱は足踏む度に音を鳴らし、それが静まり返った田んぼに吸い込まれていく。
大きく息をすれば、水晶のような、もう何の混じりっけもない空気が頭の芯まで届く。
滅多に雪の積もらぬ田舎町独特の、長く空空しい冬の生活は
驚くほどに静かであって、平遠の春をただじっと待ちわびるだけである。
ただ跌宕と毎日を過ごすことにとてつもない恐れを感じ
その度に「こんな田舎はもう真っ平だ」と憤慨しては都会に憧れたものだ。
いつからこんな不肖になってしまったのか。
離れてようやく分かることもある。
年明けぐらいは田舎へ帰ることにしよう。

粉灰の巻

2015年12月25日

忘年会ラッシュも落ち着き、あとは朗らかに年の暮れを迎えるのみである。
今年も色々とあったもんだ。
今思えば捨鉢のようなこの人生、何でも思い通りにゃいかぬもの。
緩怠にふんぞり返り、女を囲って酒池肉林に溺れるような生活は
誰でも一度は夢見るものだが、大体の者は 性に合わぬ。
やはり両手に収まる程度の日銭を抱えて
切磋琢磨に日々をやり越す方が何かと楽しいものだ。
無い袖を振りながらも気随に生きているやつを見ると何とも嬉しいではないか。
おそらくこの先、どうひっくり返っても富や名声など手に入りそうもない。
宝くじが当たるほど徳も積んでいないし、
玉の輿を狙うにしても、周りには社長令嬢どころか、男勝りに酒を煽っているならず者ばかり。
早いうちに見切りをつけて、このボンクラ人生に花を咲かせてやろう。
どうせロクな死に方せんだろうし、頑張って人並みに人生終えることが出来ても
墓石に落書きでもされるのが関の山である。
誰かにくれてやるような遺産もなし。
お陰さんで、相続問題なぞ一切気にせずに済む。
どうにかこうにか生きてきて
シャブ中にもアル中にも堕ちることなく、健常な五体でこうして過ごしているのだから
余計な贅沢など言えるはずもない。
やるだけやって、粉灰に散るのみ。

風化の巻

2015年12月25日

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』
いつか観ようと思いながらも、気づけば数年が経っていた。
いや、心のどこかで拒絶し、遠ざけていたのかもしれない。
あらすじを読んだとき、これは絶対に観れないという確信があった。
それはまるで自分自身の過去を投影しているようなストーリーであった。
たかだかアニメでそれほどに心驕が揺らぐなんて馬鹿にされそうではあるが
胸の内の古疵なんて、ほんの些細な言葉、匂い、風景ひとつで簡単に開いてしまうものだ。
しかし、私ももういい大人だ。
感情移入など捨てて、ただのアニメとして観てみようという気になった。
ところがそんな細々とした自尊心は1話目から粉々に砕かれ
誰もが大人になるにつれ抑え込んでいく少年時代の面影が
ウズウズと胸の内で蠢くのを堪えるので必死であった。
もう二度と戻ることのない、あの夏の日。
それが突然目の前に現れたかと思うと、掴もうと思っても掴めずに消えていく。
出来ることなら、止まった時計の針を動かすように、すべて元通り戻すことが出来れば。
しかし頭上の雲のように、あんなにも近くにあるものがとてつもなく遠く感じる。
手の届かぬ葛藤、紛擾、心の軋み。
あれほど遠い昔のことが
今もまだ色褪せることなく心の隅にそのまま居座っていることに驚く。
あの時の気温も風も匂いも言葉も
まるで少し前の夏の出来事のように明瞭と想い返される。
なぜあの時あんなことを言ってしまったのか。
なぜあんな風な態度を取ってしまったのか。
また今度謝ればいいと思っていた。
しかし、その今度という時はもう永遠に来ることはなかった。
時間というものは残酷で、長い長い年月は物事を風化させてしまう。
いいことも、悪いこともすべて。

 
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