JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

夏影の巻

2017年07月27日

地球温暖化なんて言われてもピンとこないが、確かに昔はもっと涼しかった記憶がある。
夏の盛りであっても、早朝はひんやりとした空気が山から降りてきて
半袖・短パンの私は朝露を蹴り上げながらラジオ体操に向かったものだ。
日中こそ茹だるような暑さであったが、ヒグラシの声が遠く響く時分には
夏陰が姿を決して、生温かい風を押し流すように涼風が町を駆け抜けていった。

そんな時は決まって、旅の終わりのような寂しさが胸をついた。
当時はそんな旅情めいたものを理解する頭は持っていなかったが
夏の夕刻の、あの途端に表情を変える町の色が何となく怖かったのを覚えている。

風と風の間、鬱蒼とした薮林がふと静まり返り、
その刹那の静寂の隙間におびただしい生き物の鳴き声、慟哭、生命感を感じた。
ところが、その怖さというのは安堵感にも似た、掴みどころのない感情も含んでいて
台風の夜のような、妙な胸騒ぎと落ち着きが混同した、子どもながらに不思議な空間であった。

大人になった今でも、夏の夕暮れ時になると、あの当時の感覚がありありと蘇るのである。
そしてそれらは音もなく、またあの時と同じように東の空へあっという間に消えていくのだ。
あの頃の夏も、今目の前にある夏も、実際は何も変わっていないのかもしれない。
寧ろ、ただ自分が変わっただけにすぎないのだろう。

いつしか大人という狭い枠の中で物事を考えるようになってしまった。
与えられることが恵まれることではない。
かといって恵まれている瞬間は自覚がない。
なんとも難しいものである。

夏色の巻

2017年07月21日

今年も無事、恒例の和歌山遠征が終了した。
大阪からは初参戦のジャイアン&フライデーナイツ。
何度も言っているが、一応はライブである。
しかしいつしか「遊びに専念したい」という大人たちの身も蓋もないワガママにより、
初日にさっさとライブを終わらせ(ライブはもちろん真剣)、あとは水を得た魚のように遊びまくるというスケジュールになった。
普段、暗い夜のライブハウスでしか会わないバンドマン同士が、
炎天下の中、子どものように川遊びに興じるのは何とも奇妙な光景だ。

 

夜はジャイアン氏の「怖い話しよう」という一言で
ただでさえ薄気味の悪い旅館の電気を消し、怖い話で盛り上がったのである。
うむ、これぞまさに夏季合宿の夜という感じだ。
女っ気の無さが、さらに合宿感を際立たせる。

 

実はその直前、打ち上げが終わって車に戻った際に、
隣に停まっていたスターライトラングラーズの機材車のバックミラーにかかっている芳香剤が
なぜかユラユラと揺れているのを目撃した。
この時、カラオケに行くメンバーと宿に戻るメンバーで別れたのだが、ラングラーズ一行はカラオケに行ったのだ。
車には誰もいないはず。
初めての不思議な現象に怯えていたら、実はコテツ(Dr)が先に乗っていてエアコンをかけていただけだった。
まったく、紛らわしいことをしてくれたものだ。
あの時、言葉にできない恐怖心を抱いていた自分が恥ずかしい。

 

なお、私は今回、最後の最後に川の飛び込みでミスって鼓膜に穴が開いてしまい、不完全燃焼のまま帰路についた次第である。
耳鼻科の先生に「実は川の飛び込みで・・・」と言うと「それ今日で2人目です」とのこと。
中耳炎の心配もなく、ほっといたら治ると追い返された。

 

毎年、決まって海の日の3連休に開催されるこの遠征。
参加希望の方はお気軽に連絡いただきたい。
もちろんバンドマンじゃなくても結構。

朝凪の巻

2017年07月10日

訪れに浸る暇もなく、あっという間に夏が足元まできてしまった。
夏がジリジリと近づいてくるあの高揚感でさえ、まるで感じる暇がなかった。
何かと忙殺され、音もなく流れていく時間の波に気づかぬうち飲まれている。
侘しいものだ。
充実していればしているほど、時間なんてものは激流のごとく流れ去っていく。
暇なら暇で不自由だと嘆き、忙しければ時間がないと文句を垂れるのだから
人間なんて本当に都合のいいものである。
1日はどう足掻いても24時間しかなくて、その中で充実を得ることは大変難しいことだ。
「充実」なんていう曖昧な言葉で人生の価値が決まる訳ではないが
やはりできる限り有意義な時間の使い方をしたいものである。
仕事も含めて人生が充実している人間などごく僅かであろう。
「明日からまた仕事が楽しみだ」なんて思える人間は果たしているだろうか。
「女の乳を揉む仕事」とかそんな仕事があるなら話は別かもしれんが、
どれだけ好きな仕事をしていても、それが生涯通して常に「楽しい」と思えることは珍しい。
充実しているか?と問われれば、私自身は「充実している」と答えるが
それを疑問に感じる自分がいることも事実だ。
誰かと比べる訳でもなければ、どういう基準で充実しているのかもわからない。
しかし、少なくとも好きなことを存分にできている人生には違いない。
独り身の間の贅沢かもしれんが、好きなことができることこそが私にとって充実した生活のキーポイントである。
社会で生きていれば我慢しなければいけないことは多々あるものの、
人生を擲ってまで我慢する必要などない。
その我慢の先に何があるのかを考えた時、納得できる道を進むべきだ。