JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

北国の巻

2017年05月24日

バンドとしては4度目の札幌。
ハコに着くなり、荷物を降ろして寿司屋へ走る。
みな目が血走っている。
飛行機の中で「寿司が食いたい」と、うわ言のように繰り返していた関西人の末路は
リハーサルを後回しで寿司を食うという傍若無人な行動に落ち着いた。

「寿司を食わねば死ぬ」みたいな強迫観念でもあるのか。
しかし、北海道の寿司は本当に旨いから困りものだ。
そしてたらふく寿司を食ったかと思えば、次は打ち上げでジンギスカン食い放題。
T BOLANの大合唱の傍ら、ラム肉に顔を突っ込み気絶している者もいる。
ライブ遠征のはずが、いつもこうしてカロリーオーバー行脚の如く胃袋を酷使するのだった。

札幌の若葉は5~6年前に沖縄で初めて出会い、すぐさま意気投合した。
それからは毎年のように札幌に呼んでくれている。
本当にありがたいことだ。

 

大阪からは古い仲のモヒカンファミリーズ。

近頃はめっきりご無沙汰だったのに札幌で共演とは面白い。

ピンチオブスナッフは何年ぶりだろうか。

ベースのささやんは8年ほど前からの付き合いになる。

ボーカルのタイガーくんは会うたび旅の話をしている。

ホイッスルのまっつんは今度釣りに行く約束をした。

そして毎度共演のブリ、オイバルカンズ、ベンベ。

DJは腐れ縁フーミン、ディスカバーズのカマさん、エム―ルの筧さん。

毎回遊びに来てくれるお客さん。

サポミのソウタも久しぶりに会えた。

遠く離れた北海道のはずが、まるで地元にいるような感覚である。

DJで来ていたフーミンが、結婚を機に故郷である富良野へ移住したようだった。
はっきりいって羨ましい。
北海道の大自然の中で、自由奔放に釣りをしたりキャンプをしたりして暮らしたい。
いつでも気軽にバックカントリーでスノーボードをしたい。
ファーガソンのオールドトラクターにまたがり、広大な畑を移動したい。
開放的な国道をのんびりツーリングしたい。
それらは私が随分前から思い描いている将来図である。
ジジイになったらいつか実現させたいと願っていた小さな夢が
フーミンの富良野プレゼンのせいで若くして一気に大きく膨らんでしまった。
とりあえず、一度遊びに富良野へ行くとしよう。

とにかく言えることは、やはり北海道はいつ行っても楽しく、人も温かい。
あれは何故なんだろうか。
もともとは移住民が集まり発展した土地ゆえに、みな道外の人間にも分け隔てなく優しいと聞いたことはある。
真相は分からないが、また早く戻ってきたいと思わせてくれる何かが北海道にはあることは間違いない。

北国の巻

2017年05月24日

バンドとしては4度目の札幌。
ハコに着くなり、荷物を降ろして寿司屋へ走る。
みな目が血走っている。
飛行機の中で「寿司が食いたい」と、うわ言のように繰り返していた関西人の末路は
リハーサルを後回しで寿司を食うという傍若無人な行動に落ち着いた。

「寿司を食わねば死ぬ」みたいな強迫観念でもあるのか。
しかし、北海道の寿司は本当に旨いから困りものだ。
そしてたらふく寿司を食ったかと思えば、次は打ち上げでジンギスカン食い放題。
T BOLANの大合唱の傍ら、ラム肉に顔を突っ込み気絶している者もいる。
ライブ遠征のはずが、いつもこうしてカロリーオーバー行脚の如く胃袋を酷使するのだった。
札幌の若葉は5~6年前に沖縄で初めて出会い、すぐさま意気投合した。
それからは毎年のように札幌に呼んでくれている。
本当にありがたいことだ。

 

大阪からは古い仲のモヒカンファミリーズ。

近頃はめっきりご無沙汰だったのに札幌で共演とは面白い。

ピンチオブスナッフは何年ぶりだろうか。

ベースのささやんは8年ほど前からの付き合いになる。

ボーカルのタイガーくんは会うたび旅の話をしている。

ホイッスルのまっつんは今度釣りに行く約束をした。

そして毎度共演のブリ、オイバルカンズ、ベンベ。

DJは腐れ縁フーミン、ディスカバーズのカマさん、エム―ルの筧さん。

毎回遊びに来てくれるお客さん。

サポミのソウタも久しぶりに会えた。

遠く離れた北海道のはずが、まるで地元にいるような感覚である。

DJで来ていたフーミンが、結婚を機に故郷である富良野へ移住したようだった。
はっきりいって羨ましい。
北海道の大自然の中で、自由奔放に釣りをしたりキャンプをしたりして暮らしたい。
いつでも気軽にバックカントリーでスノーボードをしたい。
ファーガソンのオールドトラクターにまたがり、広大な畑を移動したい。
開放的な国道をのんびりツーリングしたい。
それらは私が随分前から思い描いている将来図である。
ジジイになったらいつか実現させたいと願っていた小さな夢が
フーミンの富良野プレゼンのせいで若くして一気に大きく膨らんでしまった。
とりあえず、一度遊びに富良野へ行くとしよう。
とにかく言えることは、やはり北海道はいつ行っても楽しく、人も温かい。
あれは何故なんだろうか。
もともとは移住民が集まり発展した土地ゆえに、みな道外の人間にも分け隔てなく優しいと聞いたことはある。
真相は分からないが、また早く戻ってきたいと思わせてくれる何かが北海道にはあることは間違いない。

日常の巻

2017年05月10日

嗚呼、旅に出たし。
もうかれこれ2年以上は日本から出ていない。
なぜ海外なのか?
海外への一人旅は、私にとって一つの「リセット」だ。
リセットなんていうと、どうしてもマイナスイメージが先行してしまうが
私の場合はこれ以上ないほどにプラス思考である。
人間というのは傲慢なもので、自分を取り巻く環境や日常に慣れてしまうと
まるで自分がすべてを知った風に勘違いし、思い上がってしまうものだ。
まぁ少し大袈裟ではあるが、とにかく慢心は人の成長を阻害するといっても過言ではない。
言葉も通じず、文化も違い、何なら命の価値でさえ違う場所。
そんな異国の地へ、それも一人っきりで踏み出せば
その不遜な慢心は否応なく砕け散り、怖気づき、ときに自分の情けなさに立ち尽くす。
普遍的な日常の中にいれば、なかなかそんな経験はできるものではない。
傍から見れば無意味な行動だとは思うが、私はそういった瞬間が好きである。
そんな瞬間にこそ、妙な高揚を覚える。
一線を越えると本当に身ぐるみ剥がされ殺されるのがオチではあるが
その線引きをしながら、純粋に冒険を楽しむ。
アドレナリンがジリジリと毛穴から吹き出し、動悸が激しくなる。
国内の旅ではなかなか味わえない感覚。
それが私にとって「一人旅の在り方」だ。
よく世間じゃ「自分探しの旅」なんて言うが、そんな輝かしいものではない。
一人旅を通して見つかる自分なんてものは、ただ単に今まで「見ないように」してきた自分である。
自身を偽り欺いてきた何かが、突如として目の前に現れる。
ほんの少し「日常」から外れるだけで、人はこんなにも蚤のように小さく震えることがあるのかと
到底口では表現しようのない無情が胸にどっしりと圧し掛かる。
こんなことを繰り返していると、日常の中で起こるトラブルや悩みなど
大抵は馬鹿らしくて笑って過ごせるのである。

連休の巻

2017年05月03日

世間は大型連休。
長い人だと9連休ぐらいあるだろうか?
エリートたちは挙って海外リゾートへ飛び立ち、バカンスに明け暮れる。
プールサイドで寝そべり、カクテルを舐ぶる。
ゴルフにカジノに女遊び。
貧乏人の僻みはただただ大きくなるばかり。
まぁ、人混み嫌いの私は、わざわざ自分から人の多い場所へ行こうとも思わない。
ましてやGWで人のごった返す場所へ行くなど、飛んで火に入る何とか。
気の合う仲間と、人のいない静かな湖畔で釣りをしながらキャンプでもしている方が楽しいのだ。
ジジイ臭いと言われればそれまでだが、上辺だけ取り繕ったような遊びは昔からあまり興味がない。
「遊びは真剣に」これが私のポリシーである。
現代人は承認欲求と自己顕示欲の塊のようだ。
「誰かに見てもらいたい」「評価してほしい」「自身の存在意義を認めてほしい」
そういった欲求が昔よりもはるかに渦巻いている。
そもそも自慢と承認欲求は全く別物である。
自慢なんてものはただの自己満足だが、承認欲求は行き過ぎると自己否定に成り得る。
たとえばSNSで、自身の投稿に対して大きな反響があると存在意義を大きく認識し、
逆に反応がなかったりすると、途端に不安に襲われ、存在意義を疑ってしまう。
大袈裟に聞こえるかもしれないが、そういった脳内構造が成り立っているユーザーはいるのである。
実際、「今とても楽しいからSNSにアップする」ではなく、「SNSのネタにするために楽しいことをやる」という
何ともよくわからない本末転倒な構図になりつつある。
これは絵に描いたような承認欲求と自己顕示欲の肥大で、
周りからの評価や目線だけが気になり、人生の本質とやらをすっかり忘れているパターンだといえる。
生き物の存在意義なんてものは大小ではなく、0か1みたいなもので、この世に生きていれば誰だって1なのだ。
それが世界中に必要とされる人物でも、生きる価値のないようなボンクラであってもだ。
1しかないものを、頑張って100にしようとしたりするから余計な悩みが増えるのである。
たかだかSNSの普及で自分の生き方を見失ってしまうのは悲しい。
誰にどう思われるかを先行して考え、共感性を求め、自分の本来の満足を蔑ろにするのは馬鹿げている。
他人のバーターではなく、自分の思うように生きることが「人生を楽しむ」最も簡単な方法ではないか。