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ウッシーのコラム

表現の巻

2017年03月16日

『表現の自由』というのは何とも便利な言葉である。
胡散臭いアーティスト達は猫も杓子もこの言葉を使いたがるが
所詮、「わがまま」である。

 

私自身、「個人」の表現は自由であるべきだと思っている。
思想、信条、言論、出版など、多岐にわたる「表現」は国によって干渉されるべきではない。
なぜなら、それら表現を受け入れるかどうかも個人の自由だからだ。

しかし、事実的に第三者が被害を被る場合、社会的モラルに反する場合、国家の干渉を受けて仕方がない。
人に迷惑がかかった時点で、それはアートでもなければ表現でもなく、ただの迷惑行為である。
これらを履き違え、表現の自由という空想に酔い痴れる輩が多いことこの上ない。

 

おっさんが公然で陰部をさらけ出し、
「これはアート表現だ」と言ったところで誰も共感などせんだろう。
ところが、1000人いれば1人ぐらいは共感してしまうやつが現れる。
するとそこには妙な協調性が生まれ、勝手に自分たちで気持ち良くなってしまう。

人はたったひとつの同調で1000の反駁を見失ってしまうのだから怖いものだ。

気を衒った言動が個性なのだと信じ込み、自己を正当化しながら他人を傷つける。
本人は気付くすべもなく、大義名分に背中を押されて進み続ける。

人間は自由に弱い。
然るべくルールがなければ、人間などいとも簡単に道を踏み外してしまう。
枠があるからこそ、芸術の道筋は生まれるのではないだろうか。