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ウッシーのコラム

路の巻

2017年01月18日

冴える冬の夜。
清閑な都会の暗がりに、団地の灯が規則正しく並んでいる。
澄んだ空気の中、はっきりとした青白い輪郭が、その距離感を奪っていく。
あの灯、ひとつひとつに家族があり、そこにドラマがあるのだと考えると
なんとも言いようのない感慨が胸を走っていく。

盈満な人生とは程遠く、まして独り身のこの菲薄な日々に目を向けると
時折、他人の幸せが鋭い刃物のように心を突き刺してくるのだ。

地位も名誉も人望もなく、おまけに金もなし。
どこで道を間違えたのか、自分でもさっぱりわからぬ。
保育園、幼稚園、小学校、高校と、みなと同じように生活してきたはずだ。
同じように通学して、同じように授業を聞いていたはずなのに
いつしかあいつはエリート、我は根なし草の木偶の坊。
なぜだ。

そりゃあ、幼少の頃にしっかりと勉学に励んでいたかどうかが問題だろうが、
あいにく勉強は嫌いだったし、カルトじみた教育を受けた記憶もない。
そもそも、親や教師の教育方法など関係なかったようにも思う。
勉強しろと言われれば反抗し、言われなければとことんやらない。
本来、どこかで危機意識が働き、真っ当な社会人に向けて方向転換するものだろうが、
私の場合はそのまま我が道を進んでしまった。
後ろを振り返れば誰もおらず、気づいたときには
全く知らない場所を歩いている状況であった。

人生とは開拓。
道を作るというのは、単なる軌跡にすぎない。
ほかの誰かに歩いてもらう気など毛頭ないし、誰かのために道を作るわけでもない。
ただ、どうせいつか死ぬなら、自分だけの道を歩きたいものである。

謹賀新年の巻

2017年01月03日

謹賀新年。
殊更に挨拶したところで、コイツは正月早々コラムを書くほど暇人なのかと思われるのも癪ではある。
まぁ事実、暇なのだが。

 

ここ数年、周りの友人知人が段々と結婚しだしたのを皮切りに、
年末年始は自宅で大人しく過ごすようにしている。
朝までドンチャン騒ぎをするような歳でもないし、
食事に誘ってみても「家族と過ごすから」なんて言われて
妙な罪悪感と閉塞感に苛まれながら年末を過ごすのは御免だ。

暇といえば暇だが、これこそが贅沢な時間なのだろうと実感する。
予定も何ひとつ入れず、しばらく時間を好きなように使えるのだから、
これ以上に幸せなことはない。

 

休みの日でも普段より早起きして遊ぶタイプだし、
まったく予定のない一日というのは、一年を通して実は少ない。
だからあまりにも暇だと「どこか遊びに行かなければ」と
妙な強迫観念に迫られるのだが
年末年始に限っては、とことん暇を持て余そうという次第である。

 

下らないテレビ番組も、見飽きた映画も読み飽きた小説も、
心なしか早春の麗しい気配と相まって、私の胸の奥をすっと撫でるように
退屈さを紛らわせてくれる。

しかし、この長い休みが終わっていく虚無感というのが頭の片隅にずっとあって
夏休み終盤の学生のように、どこか落ち着かず、
変な焦りを感じながら幾許もない新年の夜を静かに過ごしているのだ。

 

結局、実家へ帰省することはなかった。
正月だからと、変に畏まって息子面するのも気が引ける。
お年玉をくれるなら話は別だが、そんなこと言おうものなら蹴り出されそうだし、
寧ろこっちがせがまれそうで油断できない。

この歳ならば、それなりの金額を渡して
「のんびり温泉旅行でも行ってこい」と親孝行の一つでもするべきなのだろうが
生憎、そんな金も心も持ち合わせるほど人間できていない。

 

さて、日常生活に戻ってしまう前に
もうしばらくこの気鬱な休日を味わうとしよう。