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ウッシーのコラム

時代の巻

2016年06月13日

いつしか、えらく生き辛い世の中になってしまった。
着実にすべてが便利になったものの、その利便性の代償は大きく、
どこか腑抜けた社会性が幅を利かしている。
私の少年時代は、まだまだ昭和の暮らしが色濃く残り、
金はなくとも人々が手を取りあい、日々を逞しく過ごしていた。
山間の名もなき集落のような田舎町ではあったが
子どもたちはみな活気に溢れ、里山を走り回っては、まっすぐ青春の真っただ中を生きていたものだ。
突如、彗星のごとく現れたファミコンのおかげで、
一時、町から忽然と少年たちが姿を消したこともあったが
それでも尚、私たちは飽きることなく夜の暗くなるまで泥にまみれて遊んでいた。
便利な時代ゆえに、人々は無駄を省きたがる。
やっても意味がないことは誰だってやりたがらない。
他に簡単な方法があるなら、わざわざ面倒なことはやらない。
そりゃそうだ。
しかし、何でもかんでも効率ばかり優先していたら面白くない。
昔の人間はそのバランスが上手かった。
携帯はなく、連絡は専ら自宅の電話であった。
ただ好きな子の声を聞きたいだけなのに、必然的に相手の親を仲介しなければならなかった。
だからみんな「何時頃に電話するから出てほしい」と事前に打ち合わせをしては
ひっそりと愛を確かめ合ったものだ。
だが、いかんせん小さい町だ。
当人たちはひっそりと言葉を交わしているつもりでも親たちはもちろん遠に顔見知りであって、
私たちの秘密の慕情はもろもろ筒抜けで ある。
そんなことは知る由もなく、純情な少年たちはそのはち切れんばかりの尋思を
夜が更けるまでしつこく語り合った。
しかし大抵は向こうの親御さんが堪忍袋の緒を切らし、ついには
「長電話禁止令」を我が子に叩きつけるのである。
無論、それは私たち男子に向けた親からのメッセージでもあって
いかに相手の親を手中に入れるかが勝負であった。
ポケベル、携帯が普及するまでは、本当にみな頭を悩ませたのだ。
今思えば、そういったやりとりは世渡りの縮図のようなもので、
携帯のなかった世代は随分と鍛えられたのではないだろうか。
昔は、恋愛ひとつでも面倒なことが多かった。
だが、それが面白かった。
そもそも、本当の意味で無駄を省くというならば
世 の中99%が無駄である。
生きることさえ無駄な気がする。
あえて陳腐な生き方をすることで
無駄を楽しめることもあるのではないか。