JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

不肖の巻

2015年12月27日

寒い寒いと言ってはみても、昔に比べれば随分と冬も温かくなった。
かつては、こんな年の暮れにもなれば夜は凍て付き、底冷えの部屋に白い息が躍ったものだ。
朝になれば、表のバケツの水は月白に煌めいていた。
畦道の霜柱は足踏む度に音を鳴らし、それが静まり返った田んぼに吸い込まれていく。
大きく息をすれば、水晶のような、もう何の混じりっけもない空気が頭の芯まで届く。
滅多に雪の積もらぬ田舎町独特の、長く空空しい冬の生活は
驚くほどに静かであって、平遠の春をただじっと待ちわびるだけである。
ただ跌宕と毎日を過ごすことにとてつもない恐れを感じ
その度に「こんな田舎はもう真っ平だ」と憤慨しては都会に憧れたものだ。
いつからこんな不肖になってしまったのか。
離れてようやく分かることもある。
年明けぐらいは田舎へ帰ることにしよう。

粉灰の巻

2015年12月25日

忘年会ラッシュも落ち着き、あとは朗らかに年の暮れを迎えるのみである。
今年も色々とあったもんだ。
今思えば捨鉢のようなこの人生、何でも思い通りにゃいかぬもの。
緩怠にふんぞり返り、女を囲って酒池肉林に溺れるような生活は
誰でも一度は夢見るものだが、大体の者は 性に合わぬ。
やはり両手に収まる程度の日銭を抱えて
切磋琢磨に日々をやり越す方が何かと楽しいものだ。
無い袖を振りながらも気随に生きているやつを見ると何とも嬉しいではないか。
おそらくこの先、どうひっくり返っても富や名声など手に入りそうもない。
宝くじが当たるほど徳も積んでいないし、
玉の輿を狙うにしても、周りには社長令嬢どころか、男勝りに酒を煽っているならず者ばかり。
早いうちに見切りをつけて、このボンクラ人生に花を咲かせてやろう。
どうせロクな死に方せんだろうし、頑張って人並みに人生終えることが出来ても
墓石に落書きでもされるのが関の山である。
誰かにくれてやるような遺産もなし。
お陰さんで、相続問題なぞ一切気にせずに済む。
どうにかこうにか生きてきて
シャブ中にもアル中にも堕ちることなく、健常な五体でこうして過ごしているのだから
余計な贅沢など言えるはずもない。
やるだけやって、粉灰に散るのみ。

風化の巻

2015年12月25日

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』
いつか観ようと思いながらも、気づけば数年が経っていた。
いや、心のどこかで拒絶し、遠ざけていたのかもしれない。
あらすじを読んだとき、これは絶対に観れないという確信があった。
それはまるで自分自身の過去を投影しているようなストーリーであった。
たかだかアニメでそれほどに心驕が揺らぐなんて馬鹿にされそうではあるが
胸の内の古疵なんて、ほんの些細な言葉、匂い、風景ひとつで簡単に開いてしまうものだ。
しかし、私ももういい大人だ。
感情移入など捨てて、ただのアニメとして観てみようという気になった。
ところがそんな細々とした自尊心は1話目から粉々に砕かれ
誰もが大人になるにつれ抑え込んでいく少年時代の面影が
ウズウズと胸の内で蠢くのを堪えるので必死であった。
もう二度と戻ることのない、あの夏の日。
それが突然目の前に現れたかと思うと、掴もうと思っても掴めずに消えていく。
出来ることなら、止まった時計の針を動かすように、すべて元通り戻すことが出来れば。
しかし頭上の雲のように、あんなにも近くにあるものがとてつもなく遠く感じる。
手の届かぬ葛藤、紛擾、心の軋み。
あれほど遠い昔のことが
今もまだ色褪せることなく心の隅にそのまま居座っていることに驚く。
あの時の気温も風も匂いも言葉も
まるで少し前の夏の出来事のように明瞭と想い返される。
なぜあの時あんなことを言ってしまったのか。
なぜあんな風な態度を取ってしまったのか。
また今度謝ればいいと思っていた。
しかし、その今度という時はもう永遠に来ることはなかった。
時間というものは残酷で、長い長い年月は物事を風化させてしまう。
いいことも、悪いこともすべて。

SWの巻

2015年12月21日

マッドマックスを映画館で観れなかった悔しさから
スターウォーズは真っ先に映画館へ足を運んだ次第である。
往年のSWファンの間ではあまり評判が宜しくないようだが
私のような「とりあえずシリーズ通して観てる」ぐらいの映画ファンであれば
「まぁこれがスターウォーズって映画だしな」という感想だ。
何か新しい発見や衝撃を求める映画ではない。
そもそもサガ映画とはそういうもんだ。
ルーカスフィルムがディズニーの傘下になり
ジョージルーカスが監督の座から離れたわけで
今作は色んな意味で楽しみであった。
シリーズ未経験の人でも十分観れるはず。
SWシリーズは1部から観る人、2部から観る人で分かれるが
3部から観て、あとは時系列で1から順に観ていくのも有りだろう。

天秤の巻

2015年12月14日

松風が山を洗ってゆく。
山茶花は揺れ、その度に京緋色の花弁が秋を削る。
早いものだ。
言葉にも出来ぬほど、驚くほどの早さで時は過ぎ去る。
その瞬きの間に息吹き、事切れていく。
いつか昔「人の命は平等だ」と教えられた。
ところが、世の中はこんなにも不条理に満ち溢れているではないか。
長生きする犯罪者もいれば、今日死んでゆく善人もいる。
人の命を天秤にかけることが非道徳なだけであって
世の中が不平等に成り立っているのはみな承知の上である。
食うか食われるか。
生きるためには人を蹴落とし、這い上がらねばならぬ時もある。
社会も政治も然り。
残酷な世の中から目を背け、批判ばかり垂らすようでは何の意味も ない。
況して、何もせず体たらくに幸せを望む者などに仏が情けをかけるはずがない。
いつだって、世界を変えるのは人間である。

不愍の巻

2015年12月09日

深閑とした年の瀬の夜。
まだ些かの騒がしさを残しつつも、街は冬の装いに勤しんでいる。
もう幾分すれば暗然の底に沈んでゆくのだろう。
新春の麗らかな気配はまだ遠くあっても、どこか淡い旅情にも似た寂しさが
胸の奥をすーっと転がっていく。
時折、そんな寂寞に堪えられず、意味もなく車を走らせては
見ず知らずの土地で行き場のない空心を解放してやる。
じっとしていては、鈍重な冬の夜に飲み込まれてしまいそうな気がするのだ。
年甲斐もなく、哀れな不愍を感じながら
毎夜、迫りくる夜から逃げるように眠りに就くのであった。

露寒の巻

2015年12月04日

冬の匂いがしている。
晩秋は眇々と時を刻んで、長い冬の気配にゆっくりと身をひそめていく。
都会の喧騒の中にも、季節の移ろいというやつは確かにあるものだ。
小さいながら懸命に街色を変えている。
田舎にいたころは、目に見えて世界が変わってゆくのを体感できた。
野山は茜色に染まり、鳥威が侘しく揺れる刈田に夕日が映える。
閑散としていながらも、どこか温かく人情じみた風景がそこには広がっていた。
寒くなるにつれ、街色は温かく変わってゆくのだ。
露寒の朝に、ふと郷愁に駆られ立ち尽くす。
その憂苦にも似た感情は、かつての風景に重なり、感傷へと変わっていく。