JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

関係の巻

2015年07月28日

揉め事や諍いなど猥瑣を好む輩は何時の時代もいるものだ。
火のない所にわざわざ火をつけ煙を立たせるのは随分と馬鹿げている。
SNSの類はすっかり止めてしまった。
根本的に人様の私情には興味がない。
況して、悪口や文句ばかり垂れる頑愚な暇人には付き合いきれん。
人間関係を篩にかける気など毛頭ない。
しかし直接連絡をくれる仲間や知人を大事にしたいというのが本音だ。
悉く世間の話題性に取り残される実感は否めないが
人跨ぎの噂話など取るに足りない話題である。

絶色の巻

2015年07月24日

絶色を極めた夏の空。
肥壮な入道雲はじっと街を見下ろしている。
この胸を掻い摘むような小さな不安はどこから来るのだろうか。
夏が来る悦びには、それらが去ってゆく悲しみも含まれているのだと
歳いくたびに大人びた感慨を抱え持つようになった。
何であってもそうなのだ。
始まりがあれば終わりがある。
友情、愛情とは違い
一年経てば何もなかったように戻ってくる季節ではあっても
やはり目の前から過ぎ去っていく物悲しさは同じようだ。

都心の巻

2015年07月23日

都心の下拙な暑気がじっとりと首筋を這うのを
もはや懐かしくも感じてしまうほどに
気付けば大阪での生活も随分と長く経ったものだ。
清閑な地中から突如飛び出た蝉の幼虫のように
あらゆる枉惑に右往左往し、ようやく眼前の木を登り始めた。
出てきた穴へ戻れば楽なことは知っている。
しかし、あの群青の大空へ羽ばたくには登らねばならぬ。
無碍な生き方などあるはずもないが
人はいつだって無難な道を選びたがるものである。
無難に価値なき。
有難こそまさに有難き。

創痍の巻

2015年07月21日

嗚呼、痛い。
日焼けが痛い。
毎年恒例、遊び耽る3日間。
今年もついに終わってしまった。
川に海にBBQに温泉にライブに・・・
余力など残さず、ただひたすらに遊ぶ。
満身創痍、身体は傷だらけ。
まるで小学生の夏休みのようで
何とも可笑しく、切なく、淡い感情に耽りながら
布団にもぐりこみ思い出を漁る。
また来年、同じ場所で。

見識の巻

2015年07月16日

右へならえの現代社会。
これほどインターネットが網羅しているというのに
事の本質を辿らず目先の情報に盲信する。
一方通行の情報媒体しかなかった過去に比べ
今は誰であっても自由に好きな情報を搾取できる時代だ。
「一つの考え」に執着してしまうと人は途端に盲目となって
どれほど自身に有益な情報であっても見落としてしまう。
どんな物事でも必ず多面的な見方、考え方があり
それらを上手く吸収し、自身の見識とするのが成長である。
これが出来ぬ人間は、どれだけ歳上だろうが私は敬うことはない。

サハラの巻

2015年07月13日

ついに体組織計を購入。
だから何だという話ではあるが
ジジイになってもモテるために
ある程度は見てくれも維持しておきたいのである。
恐らく私の頭皮はもうあと何年もすれば草臥れて
サハラ砂漠の如く枯渇してゆくことだろう。
そうともなれば、せめて体型だけでもスラっとしておかなければ
女性どころか犬にも猫にも振り向いて貰えぬ中年男に成り下がるのは目に見えている。
「人は見た目じゃない」というセリフは
それは自己を正当化するセリフでもある。

7月の巻

2015年07月03日

無機質な町並みに
紫陽花が彩りを宿してゆく。
その端正な肉弁には、雨の粒が宝石のように煌き
雲間の薄い陽光を留めている。
それが熾盛な生命感を生み
この灰色の鈍重な世界で一際浮き立って見える。
微睡みにたゆたう薄倖。
気付かぬうちに流れ去る欣幸。
いつかこの世から消え去ってしまうことの不安よりも
誰かが自分の前から姿を消してしまうことの方が妙に吃緊で
地の果ての遠雷を見るように
まだ来ぬその日に小さな怯えを隠し切れずにいたりする。