JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

隠微の巻

2015年05月19日

人の心の隠微とは裏腹に
夏の爛発たる訪れというのは誠に気持ちがよい。
土の匂い、肌を舐めるような夜の風。
その初夏の訪れに唆されて
今年もすでに浮き足立って過ごしている次第。
鮭が激流を溯上していくように
私の中の何かが足元からゾワゾワと上がってくる。
陽の漏れる歩道を歩くと
一時の荘厳な装いを捨て、新緑にまみれてしまった桜の木が
粗笨でもあり、どこか潔く一層強くあるようで
あまりに人間味を帯びたその佇まいに息を呑む。
鈍重な冬の町並みとは打って変わって
軽快で麗らかな群青の空がうんと遠くまで続いている。
それが恐ろしいほどに美しいのだ。
どれだけ世界が醜く汚れてしまっても
康寧な空だけはいつだって何も変わらずそこに在り続けるのだろう。

妥当は妥協の巻

2015年05月16日

穏当に物事が運ばれるのであれば
それは即ち妥協である。
妥 協心は虫歯のようにジワジワと神経を蝕み
気付いたときには芯はスカスカ。
小さな逆風にも抗えぬご立派な現代人のデキアガリ。
ルールや秩序を壊すことが決してパンクではない。
他を否定することが決してロックではない。
しかし、簡勁な反逆精神こそが何かを生み出すエネルギーと成りうるのである。

食み出し者の巻

2015年05月14日

通俗に堕するか
超俗に高ずるか。
人に好かれるならば前者である。
敵は作らず。
これが所謂、うまい世渡りというやつだ。
しかしながら、人に嫌われ敵を作ってでも
生き様を証明しようと躍起になる無骨な人間もいる。
私はそういう人間が好きだ。
無論、社会から見てみれば食み出し者。
残念ながら今の時代、生き様だなんていうものは犬の餌にもならず
履歴書に書いたところで何のステータスにもなりゃしない。
しかし、死んだ後に残るものは生き様である。
いくら火葬場の煙とともにタマシイ消え果てても
人々の記憶に留まるような人間になりたいものだ。

平等の巻

2015年05月09日

佞姦な狸爺の戯言が喧しい。
国家の殷富とやらは一体何なのだ。
貧富の差を無くす?
どうやって?
産業革命でも起こすか?
私は元来より平等というものを今一つ理解できていない。
平等性なんて「いつか死ぬ」この一つでよいではないかと。
やる奴はやるし、やらん奴はやらん。
わざわざ「やらん奴」を「やる奴」に仕立て上げる茶番は不要。

奈落の巻

2015年05月09日

目指す先は奈落の明るみ。
泥濘に潜む、日本刀の切っ先のような閃光。
価値とは高みにだけあるものではなく
深い深い闇の底にも存在する。
みなが光り輝く栄光を掴まんとしている中で
とことん蔑まされ、這い 蹲り、土まみれの小さな栄光の欠片を探している。
そんな未知なる光を宿した欠片にこそ
全精力を注ぐ価値があるのではないかと思っている。
価値とは結果ではなく、道筋にある。

金の巻

2015年05月03日

もう存分に歳を食っているにも関わらず
贅沢は敵だと訳の判らぬ固陋を持つことは馬鹿げている。
節約だ貯金だという退嬰的な金銭感覚は即刻捨ててしまうべきだ。
金は水物である。
絶えず流れ続けなければ濁ってしまう。
ロクに金も使わず不景気だと嘆くのは愚の骨頂ではないか。
富裕層が金を使わぬ現状も諸悪ではあるが
もっと国民全体が財布の紐を緩めなければ
まだまだ自分のところには回ってこない。
金の話で思い出したが
以前、脱線事故により運行継続が厳しくなった電鉄車両を復活させるために
3人の高校生がクラウドファンディングによって修理費を集めたということがあった。
世間では「すばらしい」「涙が出た」などと賞賛の声が上がったわけだが
ひねくれている私は高校生の善行よりも寧ろ
「電鉄会社は何をしていたのか」という失望が先であった。
今回、高校生が募金で集めた修理費は約500万円。
一会社の経営陣が集まって、たった500万の経費捻出案さえ出せなかったのか。
ニュースでは利用客の低下による経営難だと言っていたが
単純に経営力の無さが全てである。
常に新しいものを追求し、サービス向上を目指す人間がいなければ
会社など続かない。
世間には首の皮一枚で繋がった企業が山ほどあるわけで
そういった企業も今回のように「若者の善行」というものを使えば
みな救われるということになってしまう。
経営者よ、甘えるな。