JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

種の巻

2015年04月26日

『キッズ・アー・オールライト』
The Whoの名曲を一番に思い浮かべるが、今回は映画の話。
近頃増して多忙だが、出来るだけ時間を見つけて映画は観ている。
つい最近観た映画が、この『キッズ・アー・オールライト』
同じ精子提供者から提供を受けたレズビアン夫婦の子供たちが
「父親の存在」を意識し始め、父である精子提供者本人へ連絡を試みたところ
その本当の父の存在が
平穏だった家族に波を立たせることになっていくという話。
後先考えず好きなことばかりやってきた私にとって
恐らくこの先結婚という一大イベントには参加できそうにない。
まったくもってできる気がしない。
そんな私にとって『精子提供』というのはなかなか興味深い話である。
このまま湯水のごとく垂れ流すぐらいであれば
こんな不純なDNAの塊であったとしても提供してみる価値はある。
多少は世のためになるのではないか。
あいにく小難しい宗教理念は持ち合わせていないし
生命に対する倫理なんて分かりゃしない。
そりゃあ、愛し合った男女がセックスする方が倫理的なのだろうが
それができない夫婦がいることも事実である。
精子提供によって生まれた人物は
提供者の所在を知る権利があるという。
そして精子バンク側も依頼があればそれらを公開する義務があるのだとか。
先述した映画のあらすじにもあるように
提供された側の子供が父親に会ってみたいと望んだ場合
そして実際に会った場合、少なからず相手側家族の人生に影響を与えることは確かだろう。
それがもしこんな刺青だらけの遊び人だったら
向こうの親はさぞ心配なさることだろう。
えらいもんの血を引いてしまったと嘆くに違いない。
何より、いざ精子ドナーとなったとしても、その後何があるか分からない。
万が一結婚できて子供が生まれたとしたら
私は過去に精子提供をしたことがあると告げるべきか。
隠したとしても、もし相手が会いたいと言ってきたら?
一度会って愛情が沸いてしまったら?
うむ、実に難しい問題だ。
安易に決めるべきではない。
が、大変興味はある。
このまま子孫を残さずくたばるよりは
せめてこの血を後世に残すだけでも意味はありそうである。

反発の巻

2015年04月24日

酒に酔わねば夢も語れぬ者たち。
時代のせいではなかろうが
明らかに昔よりもロマンがない。
非現実的な夢は馬鹿にされ
現実的な、手の届くであろう範囲の夢ばかり評価される。
親や教師が子供に望む幸せと
子供自身が望む幸せはいつの時代も違うものだ。
親が子供の歩む道を決めてしまうのは絶対に間違っている。
子供のいない私が言ったところで説得力に欠けるが
子は親の「もの」ではない。
どれだけ血が繋がっていようが
どれだけ腹を痛めて産んだ子であっても
それは別人格の「人間」である。
私のようにひねくれた人間なら
「わしゃ好きにするわい!」と幼い頃から反発するのだが
親の言うことを聞くのが当たり前だと常々教えこまれた子は
自我も持たぬまま親が敷いたレールの上を歩かざるを得ない。
なんたる無念さ。
子供の人生に親が介入しすぎているのを見ると残念でならない。
ちゃんと挨拶ができて、善悪の区別ができる子になれば
もうそれで育児成功である。
あとは大きな懐でもって、その小さな翼で大いに羽ばたかせてやってほしいものだ。

馬の巻

2015年04月20日

春先の雨降りの窓辺。
隣町へ消えてゆく太陽は
別れた友か去った女か。
出会いも別れも、麗らかに心に映えるならば
この春というわずかな季節も随分と愛おしく思える。
歳を重ねるにつれて、疎遠になってゆく間柄も多く感じる。
常日頃から時間を共有していた旧友でさえ
それぞれが別の道を歩み、そうして大人になっていくのだ。
切ないような嬉しいような
妙な気分が一層に春の情緒を駆り立てる。
人生色々、人間万事塞翁が馬。
これから何が起こるか、誠に楽しみでならない。

幸甚の巻

2015年04月18日

ざっくばらんに夜が明けて
東の空が白くざわめき立つ。
あぁなんと無常であろうか。
生滅は絶やすことなく繰り返され
私が死んだあともずっとずっと
もう気が遠くなるほどずっと
何も変わらずに日は昇り沈んでゆくのだ。
下らぬ悩みなど馬鹿らしくなってくる。
そんな無常の刹那のうちに
取るに足りない喜びを見出すだけでも難しいのに
幸せを実感して笑顔で死んでいける人間がどれほどいるのか。
これ幸せとは如何に。

​雨模様の巻

2015年04月13日

雨模様の窓辺。
陰る小さな背中に安楽を感じたり。
そんな幸甚に満ちたような午後は
いつになく気持ちが落ち着いて
降り始めた雨の音さえ気付かぬうちに
深い海の底へ沈むように眠りに落ちる。
その心地よさたるや。

寒の巻

2015年04月11日

桃色に染まる遊歩道。
花冷えの朝に季節の移ろいを見る。
様々な感慨が交錯し、何とも定まりのない想いを抱えて
悶々と日々を過ごしている次第である。
これじゃイカンと、色々弄ってみるものの
これといった答えは見つからず。
しばらく旅に出たいものだ。
一度、目の前の日常から離れて
客観的に自分自身を見つめ直すことが必要である。
現実逃避ではなく、現実回帰。
余計なものなどないよねと、チャゲアスも言っていることだし
意味のないことだと手を付けずにいた物事も
すべて肥やしになると望んで取り組むとしよう。

凝り性の巻

2015年04月02日

凝り性で飽き性。
もっともタチの悪い性格だ。
そういう人間と対する度に
『面倒くさいやつだ』と
話半分に聞いている。
そして毎度、思うのだ。
自分が一番『凝り性で飽き性』ではないかと。
そんな自身の人間性を鑑みてどう頭をこねくり回してみても
やはり、よく出来た社会性のある人間とはどうやっても相容れないのではないかと
一端の大人のように考えている。
そりゃあそうだ。
本来そういう人間は山奥の古屋に閉じこもって
壺でも焼いているのが通例であって
人々と折り合いをつける気など持とうとしないのだ。
人生とは向かい風なり。