JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

落語の巻

2015年03月28日

ここしばらく車中においては落語を聴いている。
これが何ともいい塩梅で面白い。
寄席へ行かずしても、うまい落語家の噺であれば
音だけでも十分に情景や表情が浮かぶのである。
それに、家でじっと鎮座して落語を聴いていても
しまいには飽きて放り出してしまうが
車の中だと手持ち無沙汰な妙が相まって
真剣に聴き入ってしまえるのがよい。
とくに桂枝雀は素晴らしい。
さすが西の枝雀と言われただけあって
他の噺家とは一味も二味も違う。

グローバルの巻

2015年03月22日

ほんの小さな、砂漠の砂粒一つほどの見解の相違で
人はここまで人を非難できるものなのか。
歳を食えば食うほど脳みそが凝り固まって
頑固なラーメン屋のオヤジのように
しまいには人の麺のすすり方まで気に食わなくなるのだろうか。
自由奔放に好き勝手やっている人間ならば特に
人の生き方にとやかく口を出さず
どれだけ自分とは違った思考・思想であっても
ある程度は許容できるほどの寛容さが必要だ。
それが出来ぬなら
否定せず、主張せず、黙って我が道を行けばよい。
世界にゃ多種多様な人間がいる。
一つ海を渡っただけで価値観などまるで違うのだから
柔和な思考で物事を受け止められる能力こそ
今後のグローバル時代に必要とされるものである。
言語能力はその次ではないか。

弥生の巻

2015年03月20日

弥生の夜は冷える。
朗らかな日差しを浴びたかと思えば
途端、底冷えするような寒さで
その三寒四温の悪戯に春を感じたりもする。
固陋にこだわる昔気質な職人のように
季節というのは何百年、何千年と変わらず時を紡いできた。
桜の綻びに心和み
新緑の清さに胸躍る。
燃ゆる山肌に恋慕し
眠る大地に哀切する。
まだ言葉でさえ覚束ない時代の人々も
こうして同じ季節を感じ見ては
同じ感慨を心の底に抱いてきたのだろう。

春光の巻

2015年03月17日

東の山間いから時折流れくる春塵は
雪の果てを惜しむように私の慕情を揺らした。
水温み、大地が芽吹くのを
親心でもあるかのように見守るその柔らかな兆しが
まだ固くうずくまる晩冬の息吹に融け合い
言いようのない懐かしさを生むのであった。
いつか見たあの雪解けの清々しさも
花冷えの凛々しさも
もう随分と遠い記憶のように霞んでいる。
田舎に馳せる想いが
喧騒の隙間を掻い潜って喘いでいるのを
ただ虚しく眺めている毎日である。

シマウマの巻

2015年03月14日

『草食系男子』
最近の男は総じてこう揶揄される。
しかし、シマウマやキリンとて枯れた草は食わぬもの。
男ばかりを批判する前に
なぜ男が女を食わぬようになったのかを考えて頂きたいものだ。
まぁ世間なんて適当なものだ。
男 がみな『肉食系』になれば、それはそれで文句を垂れるのだろう。
個人的にはやはり女性がもっとエロくなるべきではないかと思う。
エロ=淫乱ではない。
女としての妖艶な立ち振舞いや艶かしさ。
男が男を磨くのと同じように
女も女を磨くべきだ。
花魁とまではいかなくとも
女の魅力など意識次第で変わるもの。
魅力的な女が増えれば男だって奮い立つはずである。
とは言いつつ、確かに男の欲の浅さは由々しき問題で
まるで禁欲を決め込んだ修行僧のごとく潔白した心を保っている。
坊主たちは古来より鼻息荒く欲を我慢してきたというのに
最近の若者たちはセックスでさえ面倒だといってしたがらない。
摩訶不思議である。

道筋の巻

2015年03月10日

幼少の頃より好奇心だけは旺盛で
とにかく何でも自分で試さなければ気が済まなかった。
利害得失なんてものは一切考えず
手当たり次第に何でも『経験』として取り込みたくなる。
他人から見れば時間の無駄使いに見えるかもしれないが
そんな非効率的な生き方こそ
実は有意義な時間の使い方ではないかと思っている。
コンピュータじゃあるまいし
何でもかんでも効率を優先するのは馬鹿げているではないか。
物事は道筋も大切である。
そして『知る』ことこそが人生の本質だと確信している。

プラスの巻

2015年03月08日

私のような神仏を鼻で笑うような人間でも
たまには心細く犒ぐこともあるわけで
どうしても越えられぬ壁に突き当たり
回り道でさえ回り尽くした時なんてのは
『神様どうか力を貸しておくんなまし』と
都合よく手を合わせてみ たりする。
まぁそれで状況が変わるわけではないが。
人生、結局は気の持ち様なのだろう。
病は気から、世も気から。
プラス思考でいれば大体のことは上手くいく。

哀絶の巻

2015年03月06日

都雅に憧れ、都雅に堕ちる。
柔懦な学生服姿が都会の淫佚に浮き立ち
煌々としたネオンにおぼめいているのを見ると
あぁ何だかなぁと哀絶を感じずにはいられない。
私の学生時代の修学旅行は
九州、北海道であったのを覚えている。
田舎者が田舎へ行ったところで
目新しいものなど何もなかったのは致し方ないが
やはり3年間同じ釜の飯を食った連中と
親元を離れ寝食を共にするというのは
子供にとってはそれは得るものが多かったように感じる。
隠れて吸ったタバコの味も
眠らず語った朴実な色恋話も
金では買えぬ青春そのものであった。
大人たちが揃って口にしていた
『今のうちに青春を楽しんでおけ』という言葉は
大人になった今の自分に否応なく突き刺さる。
無論、後悔の一片すらないほど楽しい青春時代を過ごした自負はあるが
それでも尚、青春という貪婪の火種は
いつまでも童心をじりじりと燻るのだった。

宇宙の巻

2015年03月05日

16歳の冬。
私は太平洋のど真ん中にいた。
船の後部甲板に立ち、初めて世界を見た。
見渡す限り水平線。
そこには海と空しか存在しない。
視界を遮るものは何ひとつなく
雲の一片さえ見当たらない。
それはそれは豪然とした世界を前に
自分の体重さえ感じない。
広闊の果てに消えていく白波と
明澄の中を吹き抜ける潮風だけが
私の存在を小さく色づける。
一旦陽が落ちると
漆黒の世界に眩しいほどの星屑が散らばっている。
まるで宇宙空間に浮いているようで
上下左右もない。
あの景色をもう一度見たくて
悶々とした日々を送っている。

行動の巻

2015年03月02日

ふと仰いだ空は
今日も重く沈んでいる。
冬の間しばらくは、この陰暗な空の下で
陰鬱とどうやり過ごすかが重要だ。
そりゃあ誰だってカラリと晴れた夏の日の方が
活力的に動けるものである。
私自身、夏生まれということもあるのか
やはり夏が好きなのは否めない。
だからといって冬を陰鬱に過ごすのは納得いかぬため
毎週雪山へ出掛けてはスノーボードに勤しんでいる。
金がかかって仕方がないが
家に閉じこもっていてはいよいよ蟄居に心地よさを見出してしまいそうで
極寒の冬とて 身体が動くうちは
出来るかぎりアクティブに行動しようと心掛けている次第である。