JUG A BILLY CATS

BLOG

ウッシーのコラム

信州の巻

2015年02月27日

関東ラスチックのホープ、ザ・ロデオズ。
そのリズム部隊である北島&吉津を誘い
長野へ1泊のスノーボードトリップを敢行。
なかなかスノーボーダーの少ないロック界隈。
まさかこんな近いところに居たとは驚きだ。
以前、いつか長野あたりで落ち合って滑ろうかという話になり
昨日・一昨日と滑ってきた次第である。
ほか友人も含め6名で合宿所のような民宿に転がり込んだわけだが
この民宿がまた絵に描いたようなノスタルジーを装っていて
まるで修学旅行さながらの高揚感を抱いてならなかった。
しんしんと降り積もる雪の中。
信州の冬の夜の静けさに息を呑む。
蜜柑色の街灯が白銀の大地をセピアに染めて
それはそれは雪国の美しさに魅せられた。
夜はどんちゃん騒ぎでもしようと浮かれていたのだが
みな眠らずに長野に集まり
朝から晩まで雪山で遊び呆けたわけで
風呂に入り飯を食った途端にそのまま深い眠りについてしまった。
あの夢心地ったらない。
スノーボードは毎週行ってるのだが
実は泊まりでいくのは人生で2回目である。
この会合はぜひ今後も継続したい。
参加者求む。
そんなロデオズだが
明日天王寺のファイヤーループでライブだそうで
時間のある方はぜひ遊びに行ってみてはいかがだろうか。
私も冷やかしに行く予定である。

資産の巻

2015年02月23日

この大して中身の無い冗長なコラムを
わざわざ時間を費やして読んで頂いている方がいるのかと思うと
何とも可哀相・・・ではなく、ありがたいものである。
自分のために浪費するのでさえ惜しいぐらい限られたこの時間を
恋人、友人ならまだしも赤の他人のために浪費できる寛容さこそが
人間として大切な「思いやり」なのかと。
嗚呼、タイムイズマネー。
時は金なり。
健康と時間こそが資産である。

無窮の巻

2015年02月22日

じっとそこで項垂れている鉛色の空も
足早に走り去る時間も人も
無窮のうちのほんの一瞬に過ぎない。
その掴みどころのない空しさが
ただ漠然とした懦弱を生み出していく。
なにかとてつもなく大きなものの前で
及ばぬ無力さや小ささを見せ付けられているようで
だんだんと物哀れな感覚に飲まれて
打ちひしがれてしまったりする。
そういう悲哀を持ち合わせているだけでも
まだ人間としてやっていけそうではある。

​沈深の巻

2015年02月18日

沈深な冬の夜。
今にも割れてしまいそうなほど、きりりと冷えきっている。
こんな夜は狂妄に駆られるのだ。
壊してはいけないものを壊したくなるような
背徳感がずっとずっと後ろをついてきている感覚。
昔からそうだ。
もしや犯罪者予備軍か?
もっと解放してやらねば。
色々と。

チョコの巻

2015年02月15日

バレンタインなんてものは随分昔から疎遠である。
いや、無縁と言った方がいいか。
義理チョコというのは乱暴な同情心であって
『義理でもくれてやったのだから、お前も何かよこせ』と
烏滸がましく言われているようで何だか落ち着かない。
そもそも真摯に愛を伝える日だというのに
見返りを求めること自体が不誠実じゃあないか。
なんなんだホワイトデーというのは。
どのみち男は義理だろうが何だろうが恋人以外からチョコを貰えば
『セックスできそうだ』ぐらいにしか思わないのである。
妙な出来心で男のスケベ心を煽るのは利口とは言えない。
本来、表立った愛情表現を良しとしない日本文化。
公共の面前で接吻などしようものなら
突然し ゃしゃり出てきた爺さんに
『あんたら人前でやめなさい』とお咎めを食らう。
私自身、どちらかというと年寄りじみた古臭い考え方である。
日本古来のエロチシズムや土着的な民族性に
言いようのない美徳を感じてしまう。
そもそも日本の先人はみな変態である。
それは間違いがない。
どうせなら、その変態的かつユーモア溢れる民族性で
このバレンタインやクリスマスというものを受け止めて欲しいものである。

夜の巻

2015年02月13日

陽の光を目一杯浴びた真昼の恥じらいは
夜にその姿を煌々と露わにして当人を欺くのだ。
面白いものである。
白昼には到底口にも出せぬ戯言も
一旦夜が深まれば恥ずかしげもなくポロポロと出てくるのだから。
なんだか手の届かぬところが捷いような気分でもって
そのよくわからない感慨を夜の仕業にしては
勢い良く羞恥をさらけ出してみると
案外次の日でもみな覚えていたりする。
「おまえ夕べはこんなことを言っていたぞ」と
マジメな風貌で言われたりなんかすると
知らん顔をして白を切るしかないわけだ。
夜というのは何とも罪なものである。

凡小の巻

2015年02月09日

あまりにも凡小である。
一丁前な能書きばかり垂れているくせに
この人生を思い返してみれば何たる凡小凡人。
もっと世俗から逸脱せねばならん。
どうせ死ねばみんな棺桶に放り込まれるのだから
生きているうちに何でもやった者勝ちではないか。

立春の影の巻

2015年02月05日

漫ろに流れる雲のように
ああなりたいと願う日もあれば
強悍に蠢く大地のように
ああなりたいと願う日もあったりする。
倏忽と消えゆく歳月の中で
自分がどうあるべきかを改めて考えているとき
仄かにぼんやりとした温恭みたいなものを感じて
未だ解けぬ胸の蟠りをわざとらしく穿ったりする。
追憶は感傷なり。

古式の巻

2015年02月02日

昨晩、タイ古式マッサージでゴリゴリと揉み砕かれたお陰で
首、肩周りがえらく軽くなったと思いきや
四十肩が突然に産声をあげた。
奇しくも古式特有のアクロバティックな寝技によって
眠れる獅子をわざわざ叩き起こすことになってしまった。
飛んで火にいる冬の虫。
まったく、なんと言うことのきかない身体であろうか。
どれだけ心長閑に過ごしていても不健康ではまったく意味がない。
悪辣な身体に鞭を打ってゼェゼェ生き過ごすのは
何とも不安で仕方がないものである。
しかし今更生活を見直し改善するなどできそうにない。