JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

俚俗の巻

2015年01月31日

多少人よりは偏僻を持っているものの
これでも自他ともに認める常識人だと自負している。
こんなこと自分で言ってしまう時点で野暮ではあるが
如何せん私のことをやれ社会不適合者だと
甚だしく勘違いされている方が多いので改めて言わせて頂きたい。
確かに一般社会に溶け込めぬ素性なのだが
非常識な面などこれっぽっちも持ちあわせていない所存である。
寧ろ、その辺の便佞な大卒の坊っちゃんより
社会適合性は遥かに高いのだ。
どうだ参ったか。
と、 たまには自身を持ち上げてみたりする。
卑下ばかりでは先祖も浮かばれぬではないか。
無論、一般人で生きていく気概など更々ない。
俚俗に伏した我が一族を
私の代で徹底的に変えてやりたいのだ。

沼津の巻

2015年01月26日

先週末はバンケットローバーのヘルプで静岡の沼津へ。
OTOKOMATSURIという名のイベント。
そう、男祭り。
主催は沼津でラズマタズという服屋を経営するショータくん。
実は沼津は個人的に色々と思い入れのある街で非常に感慨深くあった。
DJには俳優のKEE(渋川清彦)さん。
KEEさんはほとんど初対面に近かったが
さすが、大阪のロカビリー/サイコビリー事情にも詳しく
終始おもしろくお話をさせて頂いた。
ついこの間まで撮影のため西成に滞在していたらしく
大阪で一番お気に入りの場所だそうである。
あぁ、確かにこの上なく似合いそうだ。
沼津の老舗イベント、オンザビーチの
主催者である佐野さんとも久しぶりにお会いできた。
今年はぜひ行かせて頂きますとお話したが
果たしてちゃんと約束を守れるだろうか。
まぁ今年の夏はとことん遊ぶつもりでいるし
日帰りでもいいから遊びに行きたいものだ。
打ち上げではロデオズのヨーヘイが
陰毛を1ミリに刈り上げられていたが
暫くの間セックスはどうするのかと気になって仕方がない。
今回オールディックフォギーの順道くんの実家に泊まったんだが
お母様が超絶美味な手料理を次から次へと振る舞ってくれるものだから
眠れぬほどたらふく食っては空が白むまで騒いだのだった。

悠遠の巻

2015年01月26日

墨の滲んだような空に
ひとすじの月光がおぼめいている。
世間はいつしか日常を取り戻して
また慌ただしい喧騒が駆け巡る。
知らずして時は埋もれていくものだ。
いや、我々が時に埋もれているのか。
泰平に甘んじて、ただ傲慢に、粗放に暮らしていると
自己というものが見えなくなってくる。
つまりは自己疎闊とでもいう具合に
段々と自分自身からも遠退いてしまって
一体これは誰の人生だったのだろうかと
悠遠の彼方でも眺めるように耄碌していく。
残り有る人生を見据えながらも
今を大事にしなければならない。
やはり『今』が全てである。

木偶の坊の巻

2015年01月22日

不功であるほど面白く
絶巧であるほど乏少である。
沃饒であるほど無碍であり
枯渇であるほど暢達である。
世の中、出来損ないが丁度いい。

進歩の巻

2015年01月20日

車こそまだ空を飛んでいないものの
もはや文明の末端とも言えるこの現代社会。
しかしながら、それはほんの一部である。
教育水準の均等化なんてものは未だ不可能で
最先端の教育システムを有する国もあれば
識字率30%未満という国があるのも事実。
国民10人中7人が読み書きできないなんて
経済国家の人間から見れば到底信じられないことだが
世界にはもっと常識外なことが山ほどあるものである。
特筆すべきは『命の価値』であろう。
命は誰であっても平等。
それは先進国の常識であって
世界へ出てみれば人権さえ存在しない人がたくさん存在する。
本来、因習というのは時代とともに淘汰されていくもので
文明が神の力を超えたとき 、人々は過去の過ちに気付くのだが
十分な発展を遂げなかった民族にとって
まだまだ神への畏怖が強く、時代遅れの因習から抜け出せずにいる。
呪術師が儀式のために処女を殺したり
それこそインドのカーストなんてのは
「命は平等ではない」と断言しているようなものではないだろうか。
もちろん日本だって一昔前までは生贄や間引きで人を殺していたし
穢多の子は穢多のようなカースト宛らの身分制度が常識であった。
人智を超えたものを恐れたり
優劣意識や、社会安定のための階級支配など
今となれば粗野な人間的思想が
ある時代までは全世界で当たり前に存在していたのである。
それが未だ、この科学時代で当然のように人々の人生を大きく左右しているのは
妙に不気味でならない。

苔の巻

2015年01月20日

苔生した古石が
朝露に荘厳と輝いているように
くたびれて耄碌しても
魂だけは老いぼれぬよう居たいものだ。
人は、ひとたび挑戦をやめてしまうと
あとはただ死んでゆくだけの生き物である。

本の巻

2015年01月17日

えらく佶屈したコラムになりつつある。
意識しているわけではないのだが
ただでさえテーマ性の乏しさにおいて随一である当コラムは
そのあまりの傍若無人さに
終いには読者なんて一人もいなくなるんじゃあないかと
少々の不安を抱きながら黙々と執筆している次第である。
巷じゃ、有名なコラムニストだと
400字で5000円ほど収入があるそうじゃないか。
このコラム(すでにブログという言い方はやめている)が始まって以 来
自分の書いた文字を有名コラムニストに置き換えて収入計算するその不憫さが
読者の皆様には伝わるであろうか。
暇人だと思われているかもしれないが
これでも時間の合間を縫ってパソコンの前に鎮座し
金にもならぬ執筆活動に精を出しているのだ。
そう、もっと感謝されてもいいぐらいなのだ。
感謝したまえ。
冗談はさておき
実は近い将来、このコラムの書籍化を企んでいる。
といっても、もちろん銭金の問題ではない。
流通させる気なども更々ない。
単に価値の問題である。
サーバーのデータなんてやつは、いつ消えてしまうか分からないが
書籍ならば燃えない限り後世に残り続ける。
ただそれだけだ。
何より私は本が好きだ。
愛情さえも沸くほどに、その存在に取り憑かれている。
拙い言葉ではあれど
一人の凡人が小さい脳みそからひねり出し、綴り留めた数千の言葉が
時代を越えてなお時を紡いでいくと考えただけでロマンが全身を駆け巡る。

淫の巻

2015年01月15日

淫欲に耽る、つまり荒淫な男女というのは
世間では随分と冷たい目で見られてしまうものだが
淫欲を持たない男女の方がよほど「異常」である。
少子化とセックスレスの因果関係の程は私の知るところではないが
日本のセックスレス事情は由々しき問題だ。
産めよ増やせよと息巻いていたのも今は昔。
今じゃ出産どころか結婚願望さえ持たぬ女性が多い。
雇用・勤労条件において男女差がなくなり
いつしか女の社会進出が当たり前の時代となった。
男と同等の収入がある人生で
わざわざ自由や権利を擲ってまで結婚をするメリットはあるのかと
結婚自体に夢や幸せを見出せない女性は多いのだろう。
その上、男の自立力や経済力も乏しく
『黙って俺についてこい』と腹を決められる日本男児が少ないときたら
尚更に独身女性が増えるのも無理はない。
一国の少子化傾向が良いか悪いかなんて判断は私にはできないが
社会保障の崩壊なんかは目に見えて現実的な話であるし
単純に若年労働者の減少は国力から見ればデメリットである。
かといって、労働者数と生産力が比例しなければ
某国のようにただ貧困層が増えるだけだ。
ならば人口に拘らず、優秀な遺伝子だけを残すことに重点を置いて
男女の選定から通婚、その子供の教育までを一貫して
政府が政策化するというのはどうか。
一見するとナチスドイツのような非道徳さを感じるが
平安時代から閨閥(政略結婚)が続いている我が国から見れば
国の未来にとって有益な子孫を残すというのは寧ろ倫理的にも思える。
まぁ、結婚するかどうかなんて最終的に男女が決めることであって
国や行政、他人が介入することではない。
そもそも誰よりも結婚とは無縁の私が少子化を憂うなど笑止千万である。

深海の巻

2015年01月13日

陽の落ちた後の、しばらくの幽暗な世界がたまらなく好きだ。
空はまだ白い喧騒を残していながらも、深い海の色をしていて
その幾許もない、一瞬の美しさに息を呑む。
もうあとほんの僅かな息吹だけで
堅く詰まった冬の闇に飲み込まれてしまうその儚さに
言いようのない、なにか取り返しのつかないような漠然とした物思いが
しばらく胸の中を彷徨うのだ。

文章力の巻

2015年01月11日

『上手く文章を書くにはどうすればいいのか』
こういった質問をされることがある。
まず『上手い文章』とはどういう文章なのかを定義づける必要があるが
そんなものは読み手によって千差万別であろうから
ここでは『読みやすい文章』という観点で見ていこう。
前置きしておくが
私は物書きでも、それらの端くれでもない。
つまりは素人である。
そんな私がこれから分かったような能書きを垂れるわけだが
素人の戯言だと思って以下読み進めて頂ければ幸いだ。
では、次のうち『読みやすい』と感じる文章はどちらだろうか。
『古池や かわず飛びこむ 水の音』
『古池や かわず飛びこんだ 水の音』
日本人ならば上段の文章に読みやすさを感じるはずだ。
まぁこれは大雑把な例えではあるが
たった一文字多いだけで、これほどの違和感がある。
これはつまり、人はリズムを取りながら文章を読んでいて
俳句や短歌に限らず文章すべてにリズムがあるといえる。
そう、読みやすい文章というのは『リズムがある文章』で
言い換えればリズムのいい文章こそ『上手い文章』なのだ。
語彙力や文章技法などは大して重要ではなく
文頭から文末、そして次の文頭までのテンポの良さが肝心である。
もちろん基礎的な文法があっての話だが
文才を磨きたいのであれば
まずこういったリズムやテンポを意識することが何よりも重要ではないだろうか。
それから漸く語彙力や文章技法、表現力をつけていけばよい。
斯く言う私も、まだまだ修行中である。

 
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