JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

ゆいまーるの巻

2014年10月27日

ただ一言。
やはり沖縄は最高である。

寂しさの巻

2014年10月20日

団地の灯りが少しずつ漆黒に埋もれてゆく
気づけば随分と夜も更けていて、町は昏々と寝息を立てる。
浅い眠気がちらつくのを堪えながら
薄目を開けて古い映画を流し見ていると
何だか現実と夢の境目にいるような気がして心地がよい。
そして忽然と深い眠りに落ちてしまって
ふと目が覚めた朝方の疎外感というのも嫌いではない。
どうも最近ブログが年寄り臭くなってしまう。
まるで物書きでも気取っているかのような物言いで
さぞかし読者の方々には『こいつ調子に乗ってるな』と想われていることだろうが
一銭にもならぬ執筆作業を続けているだけでも真面目な奴だと想って頂きたい。
物書きの存在性というのは、読者の寛大な心によって成り立つのだ。
言ってしまえば、どれほど下らない書き物であっても
読み手の想像力、構成力のスキル次第でそれは幾らでも面白おかしく化けるのである。
世間もまた然り。

美化の巻

2014年10月16日

あっという間に冬の気配が訪れた。
まだ指先に残る温もりや柔らかさが一層に風の冷たさを際立たせて
独り過ごす晩秋の夜に溶け込めもせず頭を垂れる。
旅愁にも似た心寂しさはいつまでも胸の底を突いてやまない。
故郷を想うように、いつかの夢心地を思い返してみては
錆びついた刃物で切られるような鈍い痛みが胸を駆け抜ける。
どうにも居た堪れなくなって読みかけの小説を手にとってみると
ページを捲る度に、古本のあの甘菓子のような気だるい匂いが鼻を抜ける。
その度にまた過去の記憶がショートフィルムのように蘇って
結局は四六時中に物思いに耽っているのである。
男というのは過去に拘る生き物だ。
どうも過去を美化したがる。
後悔まで美化してしまうのは正気の沙汰ではない。

健康の巻

2014年10月07日

まるで自慢にはならないが
真っ当な社会人生活など送ったことのない私は
これまでに健康診断というものを受けたことがない。
まぁあいにく、こうして毎日ピンピンと健康に生きてはいるが
3人に1人がガンで死んでいるこのご時勢。
私のような徳のない人間は真っ先にその3分の1に加えられるのが世の道理だろう。
世間に何ら貢献を持たない木偶の坊である。
こんな役立たずが、のこのこと生き長らえては
世のため人のために尽くしている善人の皆様に申し訳が立たない。
これが本心だ。
しかしながら、私もまだまだ青二才とは言え健康を考える年齢でもある。
健康志向のバンドマンだなんて聞いて呆れるが
その健康がなければバンドすらできないのだと考えると
我々のような不摂生なバンドマンこそ
尚更に自分の健康状態を意識するべきではないかと思うのである。
自虐もここまでくると聊か甚だしさはあるが
こんなにも取り柄のない馬鹿息子が今後できる親孝行といえば
『健康に楽しく生きる』ことぐらいだ。
医者や弁護士になってエリート人生を送れるわけでもなく
世界を駆け巡るロックスターになれるわけでもない。
このままでは結婚すら危ういかもしれない。
どうせなら死ぬまで好き勝手に生きてやろうじゃないかと。
老後の貯えどころか、日銭を追いかけている日々だ。
健康を害して入院でもした日には、それこそ親に借金などしなければならぬ。
万が一親よりも先立ってしまうようなことがあれば尚更だ。
それほど親不孝があるだろうか。
だったら自分ができることは知れている。
たまには健康診断に行って、この暗澹たる不安を根底から解消することだ。
気づけば末期で余命数ヶ月なんてことにならぬためにも
やはりこの重い腰を起こしてやらねば。
誰か一緒に行こう。

生き長いの巻

2014年10月05日

まだ抜けきらぬ残暑が首筋にしっとりと張り付く。
少しの湿り気を含んだ風が濛々と街を駆け抜けていくのを見ると
何とも秋めいていて幸甚にも似た、得体の知れない多幸感に満たされるのだった。
こうも早く月日が流れてしまうと
人生の本質とやらを理解せぬまますべてが終わってしまそうだ。
無論、その人生の本質など知ったところで幸せになれるわけでもないだろうし
わざわざそのような謙譲の美徳に酔いしれたとしても得はない。
しかし、もう二度とないであろう生涯というものを
あえて蔑ろに放り投げて、行く当てもなく生き長らえるのは無意味だ。
しっかり受け止めて、真っ向から直視し、鑑みて生きることが
この面倒臭い人生とやらを面白おかしく過ごす重要なキーポイントになる。
そう、人生なんてとにかく面倒臭いものだ。
いずれ死ぬと分かっていながら毎日汗水を垂らして世のため人のために尽くすのだから。
どうせ面倒臭いなら、ただ面倒臭いだけの人生では退屈ではないか。
何度も言っているが再度言わせて頂きたい。
人生を思い切り楽しもうじゃないか。
もし人生楽しくないと思っているなら
それは社会のせいでも環境のせいでもない。

柔軟性の巻

2014年10月02日

日の入り果てた秋の夜というのは何とも不思議な気分で
女の何でもない言葉に絆されたような、どこか寂しくも満たされる感慨を含んでいる。
どれだけ歳を食らえど、たった四つしかない季節に幾度も心囚われているのだから
所詮は人の心など大して成長しないのかもしれない。
こうして図体ばかり大きくなり、要らぬ知識が纏わりついて離れなくなれば
物の見方はどんどんと一面的になり、結果退屈な考え方しかできなくなる。
私自身がもっとも大切にしていることはやはり『柔軟性』である。
上記に述べたように、大人になると余計な知識ばかり身について、どうも強硬になりがちだ。
『すべて自分が正しい』と思っている以上、成長はあり得ない。
特に思想というのは強硬になりやすく、つい自分の正当性を主張しがちだ。
言い換えれば、自分とは違う意見を否定しがちである。
無論、道徳的・人道的に見て『正しいか正しくないか』という判断はあるが
どれだけ自分とは正反対の意見であっても
それらを『異常だ』と否定してしまった時点で、その人もまた間違いなく『異常』である。
やはり、多種多様な物事に大して柔軟に対応できる力が大切ではないか。
そしてその柔軟性が成長へと繋がっていく。