JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

セミの巻

2014年07月28日

茹だるような暑さが和らぎ、涼しい日々が続いている。
また暫くすると夏の盛りのような暑さが戻ってくるのだろうが
今こうして夏の朝の涼しい風が足元を抜けると
何とも心地のよい気持ちに満たされるものだ。
蝉は今日も喧しく、耳を劈くようなその小さな慟哭が乾いた空に響いている。
アイツらは悩み事なんてないんだろうなと、ふと呑気な羨みの念を抱いたりする。
自分らしからぬ気分の落ちように驚いているが
まぁこれも人生の一部であって楽しむほかない。

滝の巻

2014年07月27日

箕面の滝。
夏季限定ライトアップ。

翳る日々の巻

2014年07月23日

梅雨の過ぎた空は一層にも暑気を抱えているようで
一片の鱗雲がだらしなく漂っている。
その抑揚のない姿はどこか自分を映し出しているように見えて
何とも切ない感慨に追いやられる。
まるで夢でも見ているような数日間であった。
精一杯に取り繕った平常心。
もう大丈夫だと言い聞かせ、いつもの自分を装うものの
ほんの少しの気持ちの揺らぎで、それらはバキバキとひび割れ、崩れていく。
胸の中に鉛を流し込まれたような、言いようのない息苦しさが抜けない。
同じ日々が半ば永遠に続くものだと思っていた。
『幸せ』なんていう薄ら寒い言葉でさえ、恥ずかしげもなく反芻している自分がいた。
過ぎ去った日々が何度も脳裏を霞め
それらがもう二度と戻ってこないと知りつつも、翳りゆく時の隙間に立ち止まる。
思い出とは厄介なものだ。

遊びの巻

2014年07月21日

無事に帰阪し、自宅に帰ったと同時に疲れがドッと押し寄せる。
疲労困憊とは言え、実に心地のよい疲れ具合だ。
夏の夕暮れがよく映える。
毎年恒例化してきたこの和歌山遠征も、今回で何回目だろうか。
今となってはコレがないと夏が始まった気がしない。
ライブはさておき、大の大人たちがギャーギャー騒ぐ事など日常生活では難しいのだ。
まして綺麗な川や海を持たぬ都会の我々からすれば
この体裁も何も気にせず我を解放できる瞬間というのはとても大事なのである。
さて、夏はまだ始まったばかり。
出会いもあれば別れもあるが、とにかく自分が楽しまなければ意味がない。
遊べよ現代人。



恒例の巻

2014年07月19日

今年もこの季節がやってきた。
毎年恒例、ジャガビリーキャッツ和歌山遠征。
ライブという名目で川遊びやらバーベキューやら温泉やらを満喫するという恒例行事である。
前回の遠征がついこの前のように感じる。
本当に1年も経ったのか?
新宮市という、都市圏からのアクセスの悪さは日本一を誇る港町に
全国各地から性懲りもなく・・・ではなくみなさん楽しみにいらっしゃるわけだ。
かくいう私も、この数日間ばかりは大人という体裁をすべて放り捨てて
通報されても仕方がないぐらいに心を開放してやる所存である。
実は私、今回の遠征中に30歳を迎えることになる。
まだまだ青二才だが、個人的に何かと感慨深い数日間になりそうだ。
ではみなさんごきげんよう。

感傷の巻

2014年07月17日

夕陽の暫く残る大通り沿いを、影を追うように人々が行き来する。
そんな日常の充溢の中で、ノスタルジックな物思いを覚える。
今までに何度も見てきたはずの光景が
時折に記憶の隙間を穿って、傷口に指を入れるように抉るのだった。
『懐かしい』という感情は、つまりは感傷であって他ならない。
人は思い出という潜在的なものをどのように保存するのか。
それは恐らく傷として残すのだろう。
楽しければ楽しいほど、深く傷をつける。
その時は痛みはなくとも
いつかその傷口が開くと忽ち痛痒くなり『懐かしいなぁ』という何とも物寂しい気持ちになるのだ。
歳を重ねていく度にその傷は増えていき
何でもない日常の光景を見ただけで突然胸の奥の方がむず痒くなったりする。
たまには感傷に浸るのも悪くはない。

消えぬ感懐の巻

2014年07月16日

よく晴れた一日だった。
息詰まりしそうな真昼の暑気が遠くで澱んで見えた。
車道の喧騒、蝉時雨が渾然と窓を叩いて
忽ち喜悦にも似た何かが胸の中で騒ぎ立てるのを感じた。
それに反して、どこか幽暗な物臭さも胸の内にあって
それらは同調することもなく、別々の意思を持ったように私に問いかけるのだった。
小さな言葉に猜疑し、小さな物事に懐疑する。
様々な感懐を押し殺して、平常心を保つのもなかなか辛い。
とあることが原因でここ数日まったく眠れず食事も喉を通らず
車を運転していても何度も事故りそうになり
まるで思春期の乙女のごとく思い悩んでいる。
やはり人生、色々あるものだ。
思い通りにはいかぬ。
思い通りにいかぬからこそ、成長があるのだろう。
今回の苦悶を糧に男に磨きをかけるとしよう。

転機の巻

2014年07月15日

水を得た魚のようにブログを更新しているこの頃。
まぁ取り立てて真新しいこと、面白可笑しいことなどない。
しいて言えば、近いうちに面白い発表(バンドとは無関係)ができそうだ。ふふふ。
世間はすっかり夏本番。
道端の植木に蝶が踊っているのを見ると、蒸し返るような暑さも一寸和らぐようだ。
大体いつもこの時分になると不精を患い、涼しい部屋で静謐を決め込むのが通例だが
今年の夏はそんな呑気に胡坐をかいている場合ではない。
以前ブログにも書いた覚えがあるが、今年は私にとって転機の年なのだ。
上半期が過ぎた現在、すでにいくつかの苦難に見舞われてはいるが
吉兆だと思い込んでやり過ごしている。
ぼんやりしている場合ではないのだ。
厄年にしちゃまだ早いし、まぁ不運なぐらいが張り合いがあってよい。
こちとら子どもの頃より人生ハードモードだ。
やることが山積みで散漫になりつつある気持ちをグッとまとめる。
梅雨の合間の青空が私を嚇かすように見下ろしている。
よし頑張ろう。

法律の巻

2014年07月14日

ここ数年、脱法ハーブという言葉をよく耳にする。
脱法だろうと違法だろうと一人で勝手にやってりゃいいと思うが
他人に迷惑をかけてしまう時点でもう社会的にクズである。
合法だからいいとか、違法だからダメとか、そういう問題ではない。
だとしたら酒だって脱法飲料ではないか。
結局は法律の問題ではなく個人のモラルの問題だ。
人は誰だって何かしら中毒を持っている。
酒、タバコはもちろん、セックスだったり睡眠だったり色々あるだろう。
『これがなければやってられない』という感情が中毒なのであれば
人間みな中毒者である。
法律を基準に考えるのではなく
まず『人としてどうなのか』というのを基準に判断するべきだ。
法の解釈など千差万別であって両極端である。

いつかの景色の巻

2014年07月13日

青春なんてものを思い返してみると
それは水墨の濃淡のようにハッキリとせずどこか煤けたような歯痒さがある。
思い入れの深い色恋沙汰など特にあったわけでもなく
歯の浮くような世迷言を常々ぼんやりと思い描いていたものだ。
青春の定義など分かりゃしないが
『何も恐れずに突き進める時期』という具合だろうか。
無論、大人になってもそうやって過ごしている方もいらっしゃるが
大半は歳を重ねる毎に『失う恐怖』を持ち合わせる。
言い換えれば『守るもの』が増えていくわけだ。
それは自分の世間体だったり、または愛する人だったり色々だろう。
なぜ青春時代がこれほどまで輝かしく見えるのかといえば
やはり『失うものがなかった』からではないか。
いや実際にはあるんだが、それらを失うことに恐怖がなかったといえる。
夏のアスファルトの焼ける匂いが鼻を霞めると
いつもこういう具合に青春時代を思い返したりする。
遠くの入道雲はいつかの景色を写すように高く登っている。

 
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