JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

夢の巻

2014年03月30日

夢は何かと問われれば、間髪入れずにこう答える。
『大陸制覇』
世界一周と言えばそうなんだが、ただ一周するのはあまりにも単調だ。
地球に存在するすべての国の大地を踏み、文化に触れる。
それでこそ本当の世界一周、つまりは大陸制覇になるのではないかと思っている。
できることならば
地球上に生きる全ての人間に出会い、一人一人握手の一つでも交わしたいところだが
あいにくそれほど長生きはできそうにない。
それならばせめて、世界に存在する文化ぐらいは全部触れておきたいものだ。
『こんな生き方があったのか』と異文化に触れるほどに
一面的な価値観がどんどん姿を変えていくのが分かる。
私はそういう、自分の中の普遍的なものが壊れていく感覚が堪らなく好きなのである。
こんなこと口で言っても到底理解など得られないだろうが
ロールプレイングゲームのように自分の足で世界を歩き、経験値を上げたいわけだ。
無論、多くを知ればそれだけ苦悩や悲しみも多くなる。
知ってしまうことで余計な感情が邪魔をすることも多々ある。
しかし、それが自分の人生に合っていると確信したあの頃から
私の中で『世界を知りたい』という無謀な夢が姿を見せ始めたのだ。
それは結局大人になっても消え失せることはなかった。
そして『無謀』だと思っていたものが段々『現実』として見えはじめ
今では立派な『進路』として堂々と頭の中に居座っている。

踏青の巻

2014年03月27日

踏青に薫る風を思い出す。
若き頃、新緑を抜けてきた風はいつも春の匂いを含んでいた。
あの何とも言えない大地の伊吹を深く吸い込み
長い冬の終わりをゆっくりと噛み締めたものだ。
忙しない毎日に埋もれていた『田舎に引っ越したい願望』が
最近になってまた猛烈に沸き起こってきている。
別段に都会が嫌いなわけではないのだが
田舎の暮らしぶりを拝見すると『あぁ、いいなぁ』と心底そう思うのだ。
18年間、集落のような町で過ごした私にとって
どうしたって体の芯から都会人になることはできないようだ。
田舎気質が染み付いている。
今でも『車で30分』は『近い』と感じるが
都会の人間に聞くとそれはおかしいと言われるのだから
私の中の距離感というものが随分と田舎の感覚のままで止まっているようである。
何よりも写真や映像で田舎の光景を見るたびに
骨の髄から滲み出るような懐かしさを覚えるのだ。
特にこの春から夏にかけては、その感情が一際大きくなって私を覆い尽くしてしまう。
その押し寄せる感傷に耐え切れず時間を見つけては車を走らせるのである。
あぁ田舎に行きたし。

パトリックスの巻

2014年03月24日

新木場コーストにて開催されたワイルドローバー。
またもやモヒカンファミリーズの機材車に潜入して遊びに行ったのだった。
こういったイベントが、まさかキャパ2000人以上の大箱で開催される日が来るなんて誰が予想しただろうか。
アイリッシュ、ラスティックといった音楽が少しずつ世間に浸透しているのは事実である。
純粋に楽しかった。
ただそれだけ。
ああいうイベントは今後もずっと続けていってほしいものだ。

苦悶の巻

2014年03月20日

春陰の空からサラサラと零れる雨垂れは窓ガラスに一つ一つ張り付き
蜜柑色に焼けたびいどろのように、団地の明かりを吸い取って浮かべている。
それはまだ少し遠い夏の訪れを一寸連れてきたようで
何となく寂しく、それでいて軽快な感慨を含んでいる。
そんな春霖とは裏腹に
私の鼻水はまるで湧水のようにこんこんと止めど無く溢れ出てきて
もう花粉症の薬など何の役にも立ってはいない。
困ったものだ。
飯の味も分からず、コーヒーも白湯のようである。
その上寝付きも悪く、寝起きも悪い。
まるで生きた心地がしない。
花粉のない地域へ逃亡したいものだ。
切実に。

欲の巻

2014年03月18日

煩悩が108個あるといわれる所以は何なのだろうか。
私自身、人よりも随分と煩悩が多いのではないかと自覚しているが
そんな私でも果たして108個もあるのかと疑問になる。
しかし、別に煩悩が多いからといって何なのだと言いたい。
人の煩悩の数などどうでもよいではないか。
そもそも煩悩が多いことが悪だとされる風潮を払拭したいところだ。
煩悩なんてものは、言い換えれば『本能』である。
人は生きている限り、何かを考え、何かを欲し、何かを貪るものだ。
仏道を極め即身仏を目指すような僧侶でもあるまいし
この俗世間でわざわざ欲を抑え込んで生きる意味が分からん。
いい歳こいて欲に溺れてしまえばそれは厄介ではあるが
欲を出すこと自体を否定し てしまう社会は何とも窮屈で退屈だ。
かわいい子にはどんどん旅をさせるべきではないか。
いろんなものに興味を持ち、実際にやってみて、失敗するのもまた一興。
せめて子供たちには欲深く、向上心を持って人生を歩んでもらいたいものである。

サボりの巻

2014年03月17日

いかんいかん。
随分とブログをサボってしまった。
いや、別にサボったわけではないのだが
私も完璧な人間ではないため、たまに滞ってしまうこともお許し頂きたい。
まぁサボってたんだが。
昨夜はパワーアンドスキルオリジナルの14周年イベント。
わたくしフード担当を任され、恒例の豚汁と自家製チャーシューで参戦。
お陰様で完売、ありがたや。
個人でフード出店すると、仕込み段階からすでに儲けたいという概念は無くなり
もはや炊き出しのように『奉仕』の精神で頑張ってしまう。
どうやら商売には向いてない模様。
それはともかく、ずっと耳がキンキンする。
実は土曜日もキングコブラでサイコビリーイベントがあり、もちろん私も遊びに行ったのだが
今思えばこの二日間、ほぼ全バンドがウッドベースだったという事実に気づく。
そりゃ耳がキンキンするはずである。
あの女の金切り声のようなスラップ音は
鼓膜の隙間をすり抜けて脳幹あたりを刺激し続けるのだ。
間違いなくジジイになった頃には高音域の聴音が困難になっていると予測できる。
そのうち女の喘ぎ声さえ聴き取れなくなり自暴自棄になるかもしれぬ。
難聴は避けて通れないバンドマン。
まぁ楽しければそれでよいが。

情緒の巻

2014年03月13日

狭窄した都会の空を見上げるたびに郷愁がザワザワと胸の中で騒ぐ。
刑務所の中から見る外の景色もこんな感じなのだろうかとふと考える。
時計の針は何だか私を急かすようでいて
どこか浮き足立っては目を伏せ、遠くの故郷に想いを馳せる。
在り来たりな感情や、思いもよらぬ激情。
この歳になって、日々変化する心情を楽しむ余裕が出てきた気がする。
情緒不安定という言葉をよく耳にする時代だが
言い換えれば自分の心情に素直に身を委ねている状態だと言える。
大人はみな理性というよく分からない理屈で感情を押し殺して過ごしている。
感情を無理に安定させても余計にしんどいだけだ。
大人だからと我慢するばかりではなく
たまには思いっきり開放してやるのもよい。
ストレス発散なんて簡単なことだ。
自分の感情に素直に向き合ってやればいい。
自分の心の声に耳を貸してやればいい。
変に大人ぶらずに、もっと感情を表に出してもいいではないか。
世間一般ではそれらを『大人げない』と呼ぶが
たまには大人げなくてもよしとしよう。

日差しの巻

2014年03月12日

抱擁のように柔らかい春の日差しは
たちまち私の心の中を桜色に染め始めて
雪解けのまだ冷たさの残る風さえ心地よく肌を滑っていく。
あぁ、もう春だ。
そしてもうじきに夏だ。
陰日向に屯する冬の残骸が余計に夏を想わせる。
闊達に峙つ遠くの生駒山を眺めながら
早く夏が来ないものかと項垂れている。

襲来の巻

2014年03月09日

いよいよ来たか。
敵陣の襲来に意気込む戦国武将のごとく
どこか落ち着き払った様子でどっしりと待ち構える。
今年も花粉の季節がやってきた。
まぁ手馴れたものだ。
物心ついた頃からお世話になっている。
今更になって慌てふためく私ではない。
というのは花粉シーズン前の心情であって
いざシーズン突入となると土下座して詫びたくなるのが正直なところである。
風邪やインフルエンザの耐性は人一倍強いのに
こと花粉に関してはからっきし駄目で、毎年ボコボコにやられている。
眼球は血走り、赤鬼のような形相で日々を過ごさなければならないわけで
もうそろそろ今年からは本格的に対処せねばなぁと思っている。
花粉対策のメガネが売っている が、ハッキリ言ってあんなもの意味がない。
それこそスキューバダイビング用のゴーグルぐらい必要だ。
何ならガスマスクでも付けて出歩きたいものだが世間体を考えるとまず無理だろう。
体の穴という穴をすべて塞ぎ、土中の石室にでも閉じこもれば手っ取り早いがそれも無理だ。
となると、悪の根源を断ち切るしかないが
日本中の杉の木を片っ端から伐採したら環境保護団体から袋叩きに遭いそうだし
品種改良で花粉の飛ばない杉の木を作るってのも無理がある。
一体どうすれば花粉症の人間は報われるのだろうか。
花粉症の人間が一致団結して一大ムーブメントを起こさなければならない。
花粉の時期はティッシュメーカーの売上が増えるようだし、病院だって稼ぎ時とな る。
その他いろんな企業にとって利益増加につながっているのは事実である。
風が吹けば桶屋が儲かるというが、そんな相乗効果は知ったことじゃあない。
花粉症がなくなればこの世はもっと素晴らしくなることだろう。
スマートフォンの開発などは後回しでいいから、先に花粉症の特効薬を開発して頂きたい。
切実に。

雨降りの巻

2014年03月04日

静かな雨降りの夜に冬の寒さを思い出す。
もう幾分すると春の匂いが立ち込めて町は陽気に包まれるのだろう。
そう考えると、この残り僅かな晩冬も少しばかり惜しく思える。
冬尽く日々、春待つ日々。
寒暁の底に立ち様々な想いを巡らせる。
この人生、いろいろとあったものだなぁと。
波乱万丈とまではいかなくとも
仮に小説として書き下ろすならば凡そ想像も付かないほど長編大作になりそうだ。
いつ死んでもいいようにと好き勝手ばかりやって過ごしているが
残念ながらこれでもまだ全然納得がいっていない。
もし明日死んだら後悔の念に駆られ自縛霊にでもなってしまいそうなほど
まだまだやり残していることがある。
世間から見ればただの甘え だと言うのは分かっている。
誰しもがやりたいことを少なからず我慢して生きているのだ。
しかしながら、宗教観などこれっぽっちも持たない私にとって
人生なんて死んでしまえばすべて終わりだ。
まぁ、生まれ変われるほど身分がよいわけでもない。
だったら好きなように生きたいではないか。
色々と楽しみだ。ふっふっふ。

 
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