JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

霧の巻

2014年02月28日

摩天楼が妖しく霞む夜。
これが噂のPM2.5というやつか。
おまけに私の自宅の真横には銭湯の煙突が仏塔のごとく反り立ち
ディーゼルエンジンのようにドクドクと黒煙を吐き出している。
もうしばらくすると花粉も飛び始めるのかと思うとゾッとする。
四方八方から攻め立てられ、まるで四面楚歌の状態だ。
いくら健康しか取り柄のない私であっても、心なしか息苦しい気がする。
怒りの矛先をどこに向けてよいのか分からず泣き寝入りするしかない。
文明の代償。
利便や快適を求めた結果がこれだ。
誰のせいでもない。
誰が責任を取れるわけでもない。
神という存在がいるのならば、何とも意地の悪いものである。
我々人類は常に試されているのかもしれない。
大気汚染だなんて言うと堅苦しいが
田舎育ちの私としては何とも気が気じゃない今日この頃。

復活の巻

2014年02月25日

ウルフルズ復活とのこと。
トータス松本氏は高校の先輩にあたる。
もちろん面識などないが
同じ土地で育ち同じ高校に通っていたという事もあり
一方的な親近感を感じずにはいられない。
ウルフルズの解散に関しては様々な業界事情を耳にした。
根も葉もない話だと馬鹿にするほど私も無知ではない。
まぁ、商業優先のメジャー音楽業界ではよくある話だ。
レコード会社にとって、愛だの情熱だのは無用の長物である。
金にならないことはやらない。
それは企業にとって当然の理念であってレコード会社もまた然りだ。
バンドからボーカルだけがスカウトされピンでメジャーデビュー。
メンバーを裏切れないと反対するも、目の前に積まれた札束が胸を締め付ける 。
ちと大袈裟ではあるが、メジャーなんてそんな具合だろう。
今のメジャーは相当に不景気だ。
バンドで売るよりソロで売る方が効率的なのは誰が見ても明らかである。
やはり音楽は自主活動するに限る。

井戸の巻

2014年02月22日

小学時代に暮らしていた家の裏には古びた井戸があった。
いつもずしりと重そうな石蓋で閉じられ、子供ながらに中の様子が気になっていた。
夏の盛りが過ぎ、夕方になると涼しい風が寂しく足元を通り抜けるような頃だった。
ふと井戸を見るとこの石蓋が外されていて、その大きな口がぱっくりと開いている。
私は抑えきれない興奮とともに駆け寄ってみたが
あれほど中が気になっていたにも関わらず、井戸の前に立つことを躊躇した。
私はなぜか中を見ることが急に怖くなった。
近所の友人を呼びに行き、また再び戻ってきた頃にはすでに石蓋が乗せられていた。
それから私が随分と大きくなり、結局その家を引っ越すまで井戸が口を開けることはなかった。
大人にな った今、映像や写真で井戸を見るたび当時の記憶が鮮明に蘇ってくる。
あの仄暗く湿った空気がべったりと張り付くような感覚が今でも首筋に残っている。
心霊とかそういった類の話ではないのだが
あの時のことを思い出すと今でも妙な胸騒ぎがして鳥肌が立つ。
それと同時に、今になってもう一度あの場所を訪れたいという思いもある。
子供の頃に過ごした場所には、子供の頃の自分がいるだろうか。
遠く忘れ去られた小さな過去の中には
何か今の自分への大切なメッセージが埋まっているのかもしれない。

世界一の巻

2014年02月19日

オリンピックはなぜスポーツ種目限定なのだろうか。
どうせ世界一を決めるなら様々なジャンルがあった方が面白いはずだ。
釣りとか昆虫採集とか何でもよい。
スポーツの分野だけでナンバーワンを決めるというのはどうも面白くない。
そもそもオリンピックの理念は『世界一を決めること』にあるわけではなく
人類が競合し、世界平和の礎を築くということがオリンピックの理念であって
益々スポーツだけで競合する理由が見当たらないではないか。
スキージャンプで一番遠くまで飛んだ人を決めるのも
一番大きな魚を釣った人を決めるのも
一番大きなクワガタを捕まえた人を決めるのも
最終目的は同じであって区別されるべきものではない。
何というか、きっと馬 鹿馬鹿しさが足りないのだろう。
『馬鹿馬鹿しいことを一生懸命やっている』
という馬鹿馬鹿しさこそがまさにエンターテイメントの真髄である。
無論、これは馬鹿にしているわけではない。
オリンピック選手たちは人生をかけて真剣に挑んでいるわけだし
それを否定する気や否定する資格も私にはあるまいが
(そもそもエンターテイメントなんて言ったら怒られるか)
ハッキリ言ってしまうと一般視聴者から見ればスキージャンプも釣りも大した差はない。
ジャンル云々ではなく、世界の人々が見たいものは
『目標を目指して一生懸命頑張っている姿』である。
つまり目標対象が同じ『世界一』ならば
たとえ馬鹿馬鹿しい競争でも世界に十分感動を与えられるはずだ。
3兆円 、4兆円という莫大な金を使って開催するのだから
もっと世界が興奮するような面白いことをやって頂きたいものだ。

平和の巻

2014年02月17日

旻天を懐かしみ昊天を待ち侘びる。
長い冬の空は釘色のように冷たく鈍く広がって
東の果てから世界を飲み込むとたちまち闇へと姿を変える。
今更になって陽の短さに慌てふためくのも素っ頓狂ではあるが
ふと気が付けば街灯がオロオロと揺れだして
足早に家路を急ぐ人々の姿を目で追いながら
あぁ、自分もいつか誰かの待つ家へと帰る日が来るのだろうかと
まるで遠い夢でも想うように、どこか他人事な侘しさを感じるのだった。
昼が長いか夜が長いかで人の生活というのは随分と変わるものだ。
暫く外が明るければいつまでも出かけていたい気分になるし
長い夜のときは早めに家に閉じこもり映画でも観ようかという気分になる。
夏には夏の、冬には冬の過ごし方というものがあって
別段に陽が短いからといって損を食うわけではない。
冬は陽が短い分、夜が長いだけのことである。
諍いさえ立たぬ独りの日々に悶々とし
漠然と幸せを見出そうと有りもしない色恋沙汰を思い浮かべては街に繰り出すものの
拾う価値もない世の無情に疲弊して帰ってくる。
あぁ今日もすこぶる平和である。

チョコの巻

2014年02月15日

世間はバレンタインだとかで浮かれている。
私も是非に浮かれたいものだが、チョコレートをくれる女子など周りにいるわけもなく
モテない男共と下世話な話でウダウダやってる方がまだ面白いこの頃である。
しかしながら自分のモテなさ具合をいざ鑑みてみると愕然とするばかりだ。
何のためにバンドをやっているのか分からん。
バンドで食っていくなんて豪語すると馬鹿にされるからせめて
『モテるためにやっているのだ』と尤もらしく嘯いているのに
実際はモテてさえいないなんて恥ずかしくて公言できやしない。
初めて真っ赤なストラトキャスターを手にしたあの頃から
『これで俺もモテモテじゃあ!』と何の根拠もない自信に満ち溢れ
将来の自分のモテ具合を夢 見ながら生きてきたわけだが
タイムマシンでもあれば当時の自分に会って言ってやりたい。
『バンドは続けろ』と。
残念ながら金も女も手に入れることはできないが
きっと人生で一番大切なものを手に入れることができると。
音楽は世界を変えたりしない。
音楽は人を変えるのだ。
私は心底そう思っている。

製作の巻

2014年02月14日

一に作曲、二に作曲。
寝食忘れて曲作り。
いや、まぁ寝食は忘れ てないか。
兎に角、わたくし現在フルタイムで作曲モード突入中。
歌詞やフレーズ、些細なものでも頭に浮かんだら即録音という毎日。
脳みそをジューサーにかけて搾り取り尽くしたいほどに
私の持ちうる全ての作曲原料は使い果たされ
あとは神のみぞ知る『ひらめき』の領域を待つのみである。
そんなこんなで壁に突き当たっていた私だが
先日少しばかりピアノを触る機会があり『コレだ』と確信した。
それはもう電流のごとく私の全身を駆け巡り
なぜ今まで気が付かなかったのだろうと妙に悔やんだのだった。
もちろんピアノなんて弾けない。
弾けない人間がピアノを適当に弾くと、言わずもがな不規則なメロディが生まれる。
それは頭で考えたメロディではなく
不 調和でありながら、まったく意思とは無関係の新しいメロディとなるわけである。
これこそがまさに『ひらめき』にも似た作曲に繋がることに気付く。
ふっふっふ。
こりゃあ面白いものができそうだ。
ピアノ持ってないけどな。

週末の巻

2014年02月10日

食いすぎて常に苦しい毎日が続いている。
気がつけば何か口に何か放り込んでいるのだから困ったものだ。
食欲旺盛というか何というか
別に大して腹が減っていないのに食ってしまう病的な状況を改善せねば。
近頃、他のバンドマン様のブログなんかをこっそり拝見しているのだが
皆様すごい。
しっかりメンバーの日常やニュースを織り交ぜながら書いてらっしゃる。
しかも写真付き!
こりゃあ、ファンの皆様はさぞかし見ていて楽しいだろうなと。
私のように屁理屈で凝り固まった持論を垂れ流しているのとは訳が違う。
だから私も週末の出来事を書いてやろうじゃないか!
寒風吹き荒れる土曜日。
ミナミの立ち飲み屋『音呑庵』にてアコースティックライブ。もともとは治外法権区域である西成にあったのだが
この度、道頓堀のドンキホーテ横という超好立地へと移転。
ガラの悪いお兄さん方は増えたものの、変な注射器も落ちてないし奇声も聞こえないし
キレイ系の我々にとっては以前の小便臭い場所より好都合だ。
ライブが終わり、少し仮眠をしてスノーボードへ。
向かった先は京都の山奥。
これがもう冗談じゃないぐらい山奥。
まるで獣道のような峠を越えていくのだが
車が通った跡どころか、動物一匹通った痕跡がない。
眼前には真っ白な世界が広がっているだけ。
連日の大雪のせいで道と呼べる道など見当たらず
ほぼ『勘』を頼りに雪山を登っていくのだった。
一歩間違えれば崖へと転落・・・。
これじゃスノーボードと いうより、秘湯でも探しているみたいだ。

スノボを終えて大阪へ戻り、友人の送別会へ。
ラチャというタイ料理屋の閉店&送別パーティーだ。
T字路sやボンクラ峠のライブもあり、なんとも豪華な送別会である。
大阪の庶民的なタイ料理屋がどんどん無くなってきている。
また新しい店を探さなければ。
T字路sのタエコ氏は非常にいい歌い手だ。
あの歳であんなに芯のある嗄れ声を出せるのはなかなか居ない。
作詞のセンスも素晴らしく
特にベッシースミスの『私を電気椅子送りにして下さい』の訳詞は秀逸である。
いつか我々の企画にも出て頂きたいものだ。
T字路sのタエコ氏と。

憂いの巻

2014年02月07日

物憂い冬の夜というのは何とも落ち着かず
暫く車を走らせたり夜の運動場を走り回ったりする。
特に冬の深夜の運動場というのは人っ子一人おらず
深海の底にでも沈み込んだような独特の空気感が漂っている。
そんな中をギャーとかウゥーとかいう奇声をあげながら走り回り
胸の奥の方でモヤモヤしているものを思いっきり吐き出すのである。
無論、近所の人に見られでもしたら大変だ。
言い訳などできん。
ただでさえ近所の人からは不審者扱いされているのだから。
いや、もしかしたらもう目撃されているのかもしれない。
『変な人がいたら無視する』というのが社会の鉄則だ。
しかしこの場合、一人でやってるから変な人だと思われるのである。
例えば二人で 奇声をあげながら夜の運動場を走り回っていたって
それは別に『変な人』には見えない。
『アホが二人遊んでいる』という具合だろう。
『変な人』と『アホ』では社会的立場がぜんぜん違うではないか。
次は誰かを誘ってみよう。

飴の巻

2014年02月05日

まさに飴と鞭。
散々持ち上げておいて急にドスンと落とすのはやめて頂きたい。
あの春先のような心地よい数日間は何だったのか。
桜の蕾のように綻びかけていた私の心持ちは途端に凍え固まってしまった。
しかしながら、あのような些細な春の兆しにも取り乱してしまうとは
我ながらどれだけ夏が好きなのかというのを実感した次第である。
夏生まれの人間は夏が好きなのだろうか。
いや、というよりも『冬が好きだ』という人間を見たことがない。
生き物は本能的に温もりに心地よさを覚えるのだろう。
さもなくばわざわざ冬眠なんてするものか。
鱈腹にご馳走を平らげて冬の間を寝て過ごすなんて何とも羨ましい話だが
ふと気が付いた頃には春になっているのだ と考えると少しばかり同情せざるを得ない。
長い冬の途中で、あの朗らかな春の気配を感じる喜びを味わえないのだから。
例えば真冬に常夏のハワイへ行くとしよう。
一見、夏を先取りできるような感じはするものの
いざ現地へ着いてみると『夏が来た』という具合ではない。
夏が来たのではなく、我々が夏のところへ来たのだ。
もちろん気温は暑いし、夏を満喫することはできるのだが
あの『夏がやってくるワクワク感』というものがない。
人々は季節の移ろいにこそ情緒を感じるのである。
そう言いながらも、私自身は別に冬が嫌いというわけではない。
冬の雰囲気や空気感というのは堪らなく好きだし
寂寥に混じって静かに夜を過ごす楽しみは、凛とした冬でしかできない 。
これで素敵な女性でもいれば言うことないのだが。

 
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