JUG A BILLY CATS

BLOG

ウッシーのコラム

コンクリートの巻

2014年01月30日

コンクリートのような空を見上げては生まれた町の空を思い出す。
こんな鉛色だったろうか。
いつしか随分と歳を食ってしまった。
あの頃の空の色なんて遠に追憶の彼方にある。
薄暗い部屋で、窓を滑る雨粒をじっと目で追う様子に哀れみを感じて
どこかへ出かけようと着替えたものの、また椅子に腰掛けてしまった。
どのみち今夜はスタジオリハーサルがあるし
暫くはこのモノクロ写真のような淡く静かな午後に沈んでいよう。
時には、何もせず何も考えず瞑想のように心を解放してやるのもよい。
夜風の些細な抗いや、遠い大地の息吹を微かに感じて
日々の凝り固まったストレスを解してやるのだ。
どれだけ好き勝手に生きていてもストレスは溜まるもので
真っ当な社会人から見れば『そんなもんストレスちゃうわ』と言われそうなことでも
私にとってはもう夜も快眠できぬほど胸が狭窄してしまう。
そして真夜中に自転車で飛び出しウギャアと奇声を上げながら街を一周するのである。
平和なもんだ。

無慈悲の巻

2014年01月27日

無慈悲な夜に項垂れる。
この阿漕な世間に溢れ出るものは愛でも恋でもなく
『憎悪』とでもいったところであろうか。
何だか夢もヘッタクレもない言い分になってしまうが
愛だ恋だと騒ぎ立てるペテン社会にまんまと飲み込まれぬよう注意が必要だ。
この世を動かしているものは愛でも恋でもない。
『自愛』である。
自愛があってこそ他愛が成り立つわけで
一見、他愛に満ちた仏のような人間であっても
そこには欺瞞に隠れた自愛が迸っているものだ。
もちろんそれが『悪だ』なんて思わない。
誰だってそうだ。無論、私も。
いや、寧ろ能動的に誰かのために動けている人は素晴らしい。
私のように胡座をかいて自愛に埋もれているようなボンクラとは大違いだ 。
しかしまぁ、独り身の男が誰かのために生きるというのも難儀な話である。
友達のために生きる?
親のために生きる?
国のために生きる?
いっそのこと赤紙でも届けば『何かのために』この救いようのない人生を捧げてくれてやるが
やはりこの平然とした現代社会では、どうしたって自分優先に生きてしまうのも無理はない。
だったら、みんな自分のために精一杯生きればいいのだ。
人の幸不幸に頭を抱えるよりも、まずは自分のことを考えればよい。
そりゃあ、米粒ほどでも良心の呵責を持ち合わせている人間なら
目の前で困ってる人を放っておくことはできないだろうが
人助けをするために自分の人生を擲ってしまうのは少し考えものだ。
まぁこんな屁理屈を並べているようじゃ、他愛なんて程遠いかもしれない。

バミリの巻

2014年01月25日

舞台用語で『バミる』という言葉がある。
テレビで聞いたことがある方も多いと思うが
演者の立ち位置や大道具の位置をリハーサル時にテープで印づけておくことだ。
これはテレビや演劇はもちろん、ライブハウスでも重要なことなのだが
たまにステージ上が、このバミリのテープだらけの時がある。
大抵は白のビニールテープが使われるもんだから
バンド数が多いイベント時は、もうどこを見渡してもテープしかない。
私のような典型的なA型人間は、もう気になってしょうがないのだ。
ライブ中に何度も踏まれて剥がれかかったテープを
さらに踏んで剥がしてしまわぬよう気を遣ってステージングする。
なぜ自分がこんなことに気を遣わねばならんのだと憤慨している。
何より、上から撮ったライブの写真なんかを見ると
黒いステージでこの白いテープが実によく目立つのだ。
別にバミリの一つや二つ剥がれても問題はないんだろうが
『おい!リハの時とアンプの位置違うやないか!このボンクラがー!』
と、怖いバンドさんにスタッフが怒鳴られてたりすると何とも申し訳がないじゃないか。
もうアンプの位置もモニターの位置も自分で覚えておくべきだ。
『ステージ上の余計なテープ撲滅運動』を実施していく所存である。
脱!テープ!

未来と過去の巻

2014年01月23日

過去に悩み、未来に怯える。
そして肝心な足元を疎かにして転んでしまう。
過去に悩んだところで過去はもう存在しないし
未来に怯えたところで未来もまだ存在しないというのに。
我々人間はいつだって臆病なものだ。
日々、何かを悔み何かに怯えながら生きている。
まぁ、それもまた人間らしい生き様ではある。
過去に学び未来に備えることこそ学習だ。
ところが、あまりにも『今』というものに無関心すぎるのも考えものだ。
もっと動物的に今を生きる方が絶対楽しい。楽しいに決まっている。
楽しいかどうかが一番大事ではないか。
どうせいつか死ぬんだから、人生なんて楽しんだ者勝ちである。
まるで工場の流れ作業のような毎日に嫌気がさして
『自分 は一体何のために生きてるんだろう』なんて塞ぎ込んでしまう人は多いが
そのときに『ただ思う』だけか『行動する』かで人生は大きく変わってくる。
今の自分の生き方に少しでも疑問を感じるなら変えてしまえばいい。
一度思い切って、自分が『これだ』と感じる生き方をしてみればいい。
そんな簡単に変えられないと社会人らしい言い訳を考えてしまうのは無理もないが
案外、人生なんてどうにでも転ぶものである。

気からの巻

2014年01月22日

ノロウイルスに注意
そう言われても、何を何すればよいのか分からない。
噂によれば随分と派手に暴れまわっているウイルスのようだが
ノロウイルスどころか風邪さえ滅多にひかない私にとって
その危険性とやらが全く見当もつかないのである。
余談ではあるが、数年前に鳥インフルエンザが流行したとき、たまたまタイに滞在していた。
このとき万が一タイ滞在中に鳥インフルエンザを発症した場合は
政府が見舞金のような形でそれ相応の現金をくれるというオイシイ話があったために
同じ宿の連中と屋台の鳥料理を片っ端から食いまくったのを覚えている。
免疫を下げて発症しやすくするために現地の水道水をガブ飲みしたりしてみたが
残念ながらみんな腹一つ壊さずピンピンしていたのだった。
今思えば何て馬鹿なことをしていたんだろうと呆れてしまうが
とにかく、それほどに体は丈夫に出来ているようだ。
このノロウイルスとやらを予防するのは非常に難しいと聞く。
こう見えて一応は社会人の端くれだ。
外に出ず、飯も食わず、自宅に引きこもるわけにもいかぬ。
『病は気から』
まさしくその通りで、結局は気持ちの持ち様ではないだろうか。
風邪だってインフルエンザだって宗教家だって悪徳業者だって
人の弱みにつけ込んでくるのはみんな同じである。
ウイルス上等とばかりにオラオラと睨みをきかせていればいい。
相手は所詮、数ナノメートルしかないチンチクリンなのだ。
『お前みたいなチビに負けるかい』という気合いが大 切だと言える。
そして何よりウイルスと戦ってくれるのは白血球だ。
言わば、この白血球たちは兵士なのである。
牙城を崩されぬよう、城主は日々この兵士たちを労ってやらねばならぬ。
それを忘れ驕り高ぶっていれば、いつか反逆に遭い崩れ去る。
それが世の道理である。
しかし、こんなこと言いながら
もしノロウイルスにかかった日にはいい笑いものだな。
気を付けねば。
頑張れ、私の白血球たちよ。

花の都の巻

2014年01月20日

ちょっくら野暮用で東京へ。
ちょうどモヒカンファミリーズが下北でライブとのことで機材車に便乗した。
上京している地元の友達にも会えたし、イベントも非常に面白いものだった。
イベントはオールディックフォギー、ドーベルマンとの3マンライブ。
元レトログレッションの久保さんともゆっくりお話ができたし
浅草ジンタのシーサー君も来ていて久しぶりに面白い話ができた。
ちなみにドーベルマンのタカシ君、末広君、ヨシフミ君は実は地元の先輩である。

​峭寒の夜の巻

2014年01月18日

峭寒の夜。
不気味なほど丸い月が分厚い雲の隙間を揺蕩う。
爛漫の嫩葉を踊らせていた街路樹もすっかりその細い枝を露わにして
肉袒をなぞる女の指先のように艶かしくあって寂しくもある。
急にえらく冷え込んで、辛抱堪らずエアコンとストーブを併用している。
こうなると、外へ出て洗濯物をしまい込むことさえも億劫になってしまって
暫くの間は寒風に晒したまま放ったらかしにしてしまうのだ。
こんな色気も糞もない一人暮らしの生活に随分と慣れてしまった。
けれども穢身たる我が身に何の不安もなく、寧ろ希望のようなものが沸々と湧いてくる。
身寄りの無さを嘆くほどの孤独でもない。
かえって自由気侭に振る舞えるのは好都合だ。
しかし、この根無し 草生活のせいで困っていることが一つある。
それは『猫が飼えない』ということだ。
いくら相手が猫とは言え、私のように突拍子もなく何日も家を空ける主人では面目が立たない。
無類の猫好きである私が猫のいない生活を送ること10年。
そろそろ限界が近づいている。
人肌よりも猫肌が恋しいわけで
近所の野良猫を見かけては立ち止まって相手をしている。

半月の巻

2014年01月17日

新年がスタートして半月が過ぎ去ってしまった。
正月など、もはや背中すら見えない。
おいおい飛ばしすぎじゃないかと心配になりつつも
時間に置き去りにされぬよう、しっかり地に足つけて意気込んでいきたい所存である。
今年は私にとって、年齢的にも区切りの年となる。
これを機に、少しばかり色んな方向に手を伸ばしてみようかと。
そんなこと言いながら結局何もできずに
『この口だけヤロー』と馬鹿にされる可能性も多いにあるが
とりあえずは社会の鎖をぶった切ってやろうと企んでいる。
その鎖はしがらみでもあり、安全装置でもある。
自由を得るか、安泰を得るか。
こういった決断に迫られた時の、脳みそがピリピリとする感覚が好きだ。
結局、一般人として社会に溶け込んで生きていけるような人間ではない。
悩んでも無駄か。
どうやら道は一つしかないようだ。

制作の巻

2014年01月15日

新年一発目のライブを終え、本腰入れて制作活動に身を置く。
と言いたいところだが、なかなか音楽の神様は簡単に舞い降りてはくれない。
『さぁ曲を作るぞ』とギターを抱えてみても、浮かんでくるのは雑念ばかり。
曲作り云々よりもまずはこの煩悩を取り払う必要があるかもしれん。
作曲家のように音楽ロジックなんかを持ち合わせているわけでもないし
頑張って建設的に作ろうと思って作れるものではない。
私のような凡人が曲を作るとなると、もう『ひらめき』しか頼れるモノはないのだ。
まさにメロディーが降ってくるという奇跡を呼び起こすしかないのである。
ビートルズの名曲『Let it be』は
ジョンレノンが夢の中で思い浮かんだメロディーを元に作り上げたというのは有名な話だ。
残念ながら彼のような常軌を逸した想像力は毛頭ないが
ふとした時に思い浮かぶメロディーを元に作り上げていくしかない。
とことんアナログ。
とことん不器用。
そしてそれがロックンロール。
よし、頑張ろう。

成人の巻

2014年01月14日

以前にも書いた覚えがあるが、私は成人式に出席していない。
成人式には行かず、タイへ一人旅に出た。
そもそもなぜ成人式に出席しなかったのかと問われると答えに困るが
ただ単に成人式というものに意味を見い出せなかったのだろう。
二十歳になったところで、社会的に成人として扱われるだけのことだ。
それでは納得がいかなかった。
本当に自分が人間として一人前になったのかどうか実際に確かめたかった。
そこで思い浮かんだのが『海外への一人旅』だった。
そのためにはツアーではなく、完全無計画の個人渡航でなければ意味がなかった。
本当はアメリカへの渡航を考えたが、英語は何となく意思の疎通が出来るし
どうせならとことん自分を追い詰めるためにも、単語一つ分からぬ東南アジアを選んだ。
言葉の一切通じない異国で、一人で宿を探し、飯を食い、2週間を過ごす。
こんなこと一人で出来るわけがないと思っていた。
だが向こうへ行ってしまえば、やるしかなかった。
それが単純に『生きる』ということだ。
もちろん色々大変だったが、日本に帰国したときに
『よし、俺は大人だ!ざまぁみろ !』と変な自信がこみ上げてきたのを今でも覚えている。
やはり何事も経験である。

 
1 2