JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

帰省しないの巻

2013年12月30日

長らく実家へ寄っていない。
地元へは何度か足を運んでいるものの、旧友と他愛のない話をしてそのまま帰ってくることがほとんどだ。
以前は『せめて盆と正月ぐらいは』と妙な義務感で帰るようにしていたが
ここ1、2年は何かと理由をつけて実家への帰省を拒んでいる。
拒むというと語弊があるかもしれないが、別に大した理由などあるわけではない。
男の子なんてみんなそういうものだろう。
一度親離れをすれば誰だって多少なりとも疎遠になっていくものだ。
実家の猫も私のことなどすっかり忘れてしまって
その余所余所しく他人行儀な装いに笑ってしまうほどだ。
昔は玄関にちょこんと座り私の帰りを待っていてくれたものだが。
歳月の移り変わりは不自然なほどに早く
行くあてのない戸惑いや躊躇いが胸の中で軋んでいる。
早く大人になりたいと願っていたあの頃の想いが
今となっては淡く霞んでいくことにどこか寂しさを感じながら
倥偬と駆けてゆく時間の中でただひたすらに歩を進める。
現状維持は後退と同じだ。
常に前へ進んでいなければ進歩とは呼べない。
そして厄介なことに、どれだけ前に進んでいるつもりでも
時間という轟々たる向かい風に押し返され気付けば後退していることだってある。
足元ばかり見ていては駄目だということだ。
もちろん人それぞれ色んな生き方があって、正誤を判断することなど出来ない。
しかし、やはり私には進み続けている人間の言葉の方が心に響くのである。

寂寥の巻

2013年12月29日

屏居の果てに寂寥さえ姿を隠す。
一回りした仙人のように心は穏やかで静かである。
いっそのこと虚無僧にでもなって喜捨で食っていくという人生もありだが
このような身成りで街角に立って尺八なんか吹き鳴らせば
喜捨どころか通報を喰らいかねない。
職質を言い逃れできる理由などあるわけでもないし
ただの無法者として俗世間から追放されるのが関の山だ。
とにかく、この嫌に落ち着き払った人生には何か大きな刺激が必要である。
そのためには自分から突撃しなければならん。
出不精かといえばそうでもない。
その気になれば山の一つや二つ越えて遊びに行くことも更にある。
ところが、私の心を満たしてくれるような刺激はそうそう見つかりはしない。
人知の許容を超えたような大きな何かを求めて徘徊してみても
ここ大阪にはあまりそのような度肝を抜かれる刺激は転がっていないのだ。
やはりもっと広い世界を見たい。

抱負の巻

2013年12月26日

知らぬ間にクリスマスも終わり、いよいよ2013年も幕を閉じようとしている。
今年も色んな出会いがあり、色んなドラマがあった。
無論、色恋沙汰は何一つなかったわけだが・・・。
確か去年のクリスマスは三上寛のライブに行っていた。
怨念のような慟哭の弾き語りがクリスマスムードをかき消して
何とも言えぬ独特な空気感を生んでいたのを覚えている。
あんなライブに女性を誘ったら間違いなく嫌われるんだろうな。
そういえば今年の抱負は何だったろう。
忘れてしまうようじゃ抱負の意味がない。
まぁ今年も無事健康に過ごせたことが何よりだ。
間違いなく『健康こそ宝』である。
元々体は丈夫で病気知らずではあるが、人間いつどうなるか分からん。
まし てや私のように身寄りのない独り者は恐い。
自宅でばったり倒れた日には誰にも気づかれず干からびていく運命にある。
うーむ、それは避けたいところだ。
まだまだ若いとはいえ、少しは体のケアをしていかなければ。
ところが、いざケアをしようと思っても何をすればいいのか検討もつかない。
健康食品などからっきし興味がなく
不摂生なライフスタイルを改善するというのもまた難しい。
とりあえず毎日楽しく笑って過ごすことが何よりの健康への近道か。
笑顔は良薬だ。
笑ってりゃ病気も治るし、大概のことは上手く事が運ぶ。
余りにも常日頃から笑っていると『ヘラヘラするな』と怒られることもあるが
ムスッと機嫌の悪そうな顔で過ごすよりは余程マシである。
よし、来年はできるだけ笑顔を意識しよう。

終わりの巻

2013年12月24日

もう今年も終わりか。
まったく以て実感がない。
年の瀬の慌ただしさもなければ、独特の緊張感もない。
ただ平然と目の前を通り過ぎていく月日に追憶だけが馳せる。
クリスマスも間近に迫った今日この頃。
貪淫に耽る世間を余所目に、私は北国へ赴きしっぽりと湯に浸かろうかと企んでいたが
色々とやる事が重なり、どうやら喧騒の中で忙しなく過ごすことになりそうだ。
歳を重ねる毎に人混みが苦手になっていく。
昔からその傾向は強くはあったものの、既にこの若さでジジイのような心持ちである。
できることならば山奥でのんびり猫と一緒に隠居したいが、現実そうはいかぬ。
そろそろ一人旅にでも出るか。
1ヶ月間ほどアジアを放浪したい。
普遍的な生活に馴染んでしまうと、人はどんどん老化する。
常に何かしらの刺激を受け続けなければ魂は朽ち果てていくのだ。
つい平穏を求め、安泰に生きることを選んでしまいがちだが
やはり人生にはスリルが必要である。
何より平穏ばかりでは物足りない。

日記の巻

2013年12月22日






若者の巻

2013年12月19日

『まったく最近の子は・・・』
いつの時代も若者の不出来さに大人たちが嘆いてきたものだが
近頃じゃ『まったく最近の大人は・・・』なんて
若者たちに嘆かれてしまう時代になりつつある。
今やモンスターペアレントという言葉も随分と定着して
まさに『言った者勝ち』な世の中である。
何より、そういった世渡りが常識となってきていることが恐ろしい。
『私らの時代はね、こうこう・・・』と昔話を持ち出すと
懐古主義だ何だと小馬鹿にされ、まるで相手にされない。
何が原因なのかと掘り下げれば『愛情不足』ではないだろうか。
人間ってやつは野生動物のように強くはなく
一人で生きていけるほどの度量を持ち合わせていない。
親だけではなく、周りの人間の愛情が人間を育むと言ってもよい。
しかし近頃、無機質で機械的な人付き合いが目立つ。
子供も大人も本当は寂しいのだろう。
その寂しさにさえ気付かず、孤立した人生を歩んでいる。
何とも世知辛い時代ではないか。
結局、経済的発展が本当に幸せなのかどうかは疑問だ。
幸せを履き違えた大人たちが子供の幸せを奪っているのかもしれない。
綺麗事はあまり好きではないが、やはり愛というのは少なからず必要なのだろう。

爺さんの巻

2013年12月17日

近所のセブンイレブンへ行ったところ
ガラスが散らばり、雑誌やら何やらが滅茶苦茶に散乱していた。
まさかとは思ったが、やはり車が突っ込んだとのこと。
爺さんがブレーキとアクセルを踏み間違えて派手にやったようである。
世間では『お年寄りだから仕方がない』と擁護的な意見が多いようだが
こういったお年寄りの不意の事故が多すぎるから困ったものだ。
以前から言っているように
ある程度の年齢になれば車の運転を自粛して頂きたい。
もしくは再度教習所に通うべきだ。
そして改めて車を運転する能力があるかどうか確かめる必要がある。
そもそもブレーキとアクセルを踏み間違えるような人物が
普通に一般道を走っていること自体が異常であって恐怖であるし
飲酒運転と同じぐらいの過失だと言っても過言ではない。
恐らく本人は自覚がないだろうから、家族が諭してやる必要がある。
私自身、耄碌ジジイになってもアメ車を転がすような老後を送りたいと思ってるが
ブレーキとアクセルを踏み間違えるほどに耄けてしまったら
頭を叩いてでもやめさせて欲しいと願っている。
『コンビ二に突っ込んだ』なんて、末代まで笑いものにされかねない。

切り返しの巻

2013年12月16日

『何歳ですか』と聞いたときの『何歳に見える?』という切り返しは
もうそろそろやめにして頂きたい。
オッサンが相手なら適当にあしらっておけばいいが
女性が相手となるとそれなりに気を遣わなければならない。
大して興味もないのに半ば強制的に『年齢当てゲーム』に参加させられるのは面倒だ。
女性の年齢なんて見た目だけでピッタリ当てることなど不可能である。
仕方なくゲームに参加した 挙句、実年齢より少しでも上で答えてしまうと
まるで私が『女を分かってない男』のように扱われて恥をかく。
困ったものだ。
ところが、実は男が相手でも面倒なことはある。
女性の場合は、とりあえず見た目よりも若く答えていれば問題ないが
男の場合は若く見られることを嫌う人も多いために
寧ろ実年齢よりも上で答えた方が会話の流れとしてもベターだ。
『大人っぽく見えますね』とか『落ち着いて見えますね』なんて言っておけば
男はみんな『よく言われるんだよ』なんて、満更でもなく嬉しがるのだから。
私自身、これまでの人生で実年齢より下に見られたことが一度もないのだが
これはやはり上記のような理由で気を遣われているだけなのかもしれない。
まぁ 年齢なんて、言ってみれば距離みたいなものだ。
歩いた距離ではなく、どういう歩き方をしてきたかが重要である。

寒風の巻

2013年12月13日

街は一段と厳しい寒さに包まれ、潔く寒風が足元を攫っていく。
昔から寒いのは嫌いではない。
無論、寒い方が良いというわけではないが
この凛と冷たく耿然とした夜というのは冬の間でしか味わえない情緒だ。
心が凪いでいくのを感じながら暫く夜の静けさに凭れてみると
忙しない時の移ろいの中で、何だか世界に自分しか存在しないような錯覚を覚えて
突然寂しくなっては外を眺めて、遠くで揺れる団地の明かりに安堵したりする。
自分の中で、何かがゆっくりと古びて耄けていくことに強い戸惑いを感じて
『こんなはずじゃない』と何度も葛藤を繰り返しているうちに空が白む。
そのうちにまた居直って苟安してしまう自分に辟易する毎日。
まったく生きるというの はなんと面倒で難しいことなのだ。
我ながら『面倒な道を選んだな』と苦笑する夜だった。
もう一般人に戻る気はなし。
とことんいこう。

億万長者の巻

2013年12月12日

今こそ、この見窄らしい生活に終止符を打つべく、宝くじを購入。
拝む神など持たぬ私も、こういう時は一丁前に天に手を合わせる。
『神様、どうか一等をお願いします!』
・・・まぁ、拝むのはタダだ。
普段からロクに善行など積んでいない私が
宝くじ売り場の前で天を仰いでいるなんて滑稽で言葉も出ないが
ふと横を見れば、まるで墓石でも拝むかのように手を合わせるジジイ。
爺さん、そこまでしてまだ金が欲しいか。
仮に一等が当たったら、残りの余生で一体何に使うというのだ。
こんな年寄りに5億円を奪われてなるものかと
一生分の運を使い切ってもいいという覚悟で神頼みした次第である。
それにしても、こんなちっぽけな紙切れに夢を託すなんて
我 ながら何とも不格好ではある。
しかし『運も実力のうち』というように
運のない男は何をしたってダメだ。
本当に出来る男というのは運さえも味方に付けてしまうのだ。
すべては『運』と『タイミング』である。
この二つが人生を大きく変えていく。
どれほど実力や才能に長けていても、これが足りなければ凡人として果てていくことだろう。
寧ろ、この『運』と『タイミング』を操れる生き様こそが
『実力や才能』と呼べるものではないだろうか。
くっくっく・・・待ってろ5億円。

 
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