JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

安逸の巻

2013年10月30日

安佚を貪る。
悠々自適、自由気ままに過ごすという意味だ。
日常から少し遠ざかった空間に暫く浸っていると
それが夢心地のように感じて、いざ日常に戻る瞬間に強い気だるさが伸し掛かる。
義務から解き放たれて、安佚に更け込んでいる間というのは
もう何もかもがどうでもよくなってしまって
いっそのこと日常でさえ擲ってしまおうかと躍起になることもしばしばである。
ところが、実際にすべてを擲って非日常の世界へ足を踏み入れたとしても
いつしかそれが日常と成り果てて、また新たな非日常を求めるようになる。
人生はパラドックスに溢れている。
非日常は非日常だからこそ魅力があるのだろう。
それらが日常になってしまわぬよう、一歩引いて楽し むことが
まさに『安佚を貪る』という人生に相応しい。

帰阪の巻

2013年10月28日

この土日、スパスパ田尻店長と沖縄へ出向いた。
旅行というほどの大袈裟なものではなく
私としては京都や愛知の友達に会いに行く感覚に似ている。
車で行くか飛行機で行くかの違いだ。
行くたびに新しい友達や繋がりが増えて
それが尚『帰り際の寂しさ』を増幅させる。
正直、本当はのんびり過ごす予定だった。
しかし、偶然にもこの土日にパンクスピクニックが開催とのことで
何ともハードでコアな夜を過ごすことになった次第である。
ちなみに↓がラインナップ。
これで入場無料だなんて素晴らしい。

北海道でも沖縄でもそうだが
日本の端っこに、ふらっと行って気軽に泊めてくれる仲間がいるのは有難いことだ。
まさに、持つべきものは友。

冬の業の巻

2013年10月25日

今年はというと、ほとんどバイクには乗らず了いであった。
自賠責だって更新したばかりだというのに、恐らく来年の春先まで乗ることはないだろう。
シートを被ったままのバイクがどこか寂しそうで堪らない。
冬でもちゃんとエンジンをかけて乗ってやるのが真のバイカーなのだろうが
あいにく真冬にバイクに乗れるほど強い心は持ち合わせていない。
しかし真冬であっても、彼女を後ろに乗せて颯爽と走っている人をよく見かける。
本人は『バイクに乗ってる俺かっこいいぜ!』と気取っているのだろうが
彼女は『こいつアホちゃうか!』と憤慨しているに決まっている。
猛吹雪に耐える南極観測隊のように、彼氏の後ろでガタガタと震えている彼女さんを見ると
ただ ただ『可哀想だなぁ』と同情せざるを得ないものだ。
そういえば、タイのトゥクトゥクを輸入してやろうと企んでいた時期があった。
トゥクトゥクとは三輪タクシーのことで、タイに行けば街中を爆音で走り回っている。
日本ではもうすっかり姿を消した2ストエンジンで
排ガスを撒き散らし、尚且つ喧しいというエコロジーなどまるで無視した乗り物だ。
環境保護団体に見つかれば石を投げられてもおかしくない、まさに東南アジアの産物である。
日本でも十数人は所有者がいるようだが、大阪じゃほぼ見かけたことがない。
これに乗って御堂筋を突っ走るのが夢なのだ。

志賀の巻

2013年10月23日

秋雨はしっとりと夜を濡らして、幽かな月の明るみが雲間でざわめいている。
こういった叙情漂う秋の夜長は、甘菓子をつまみながら映画を観るに限る。
小説を読み耽るのもよいが、雨樋を伝う雨の音一つ一つが妙に気になりだして
浮わついた心がどんどん肥大してはパンッと弾けたかと思うと
ついには小説も放り出して潤んだ窓の外を眺めながら物想いに耽るというパターンが多い。
おかげで、本棚には読みかけの小説ばかりがズラリと並んでいる。
そして読み終える前にまた新しい小説を買ってしまうのだからどうしようもない。
今現在、志賀直哉の暗夜行路にリベンジしている。というのも
この暗夜行路だけは、これまで十数回は読み返しているというのに、未だに読破した試しがない。
志賀直哉の生涯最高傑作だと言われ、『オススメの小説』とプッシュされることは多いが
まったくとんでもない。
まずハッキリ言って、内容がつまらない。
寝食も忘れて読み耽るというような面白みはそこにはない。
しかし、至るところに散りばめられた屈託のない文体の美しさは
もう小説の内容など凌駕してしまうほどで、目を見張るものがある。
だからいつもページをめくる度に『この言い回しは素敵だなぁ』なんて
何度も立ち止まっては読み返すために、内容など頭に入ってこないのだ。
何より私のような若造では 、理解できるほど人生経験が足りないようでもある。
三島のようなしつこいほどの華美表現も面白くはあるが
志賀みたく誰でも分かる言葉で簡潔に伝えるのもまた面白い。
今回も途中で音を上げそうな予感こそするものの
まぁその時は『まだまだ成長が足りない』と来秋に持ち越そうではないか。

僥倖の巻

2013年10月22日

心なしか雲の流れは早く、僥倖は頭上高くを走り去っていくようだ。
生きていれば絶対に幸せになれると誰かが言っていた。
幸せという一つの言葉で人生を曖昧に定義して片付けてしまうのは面白くない。
幸せだからどうだとか、幸せになるためにどうだとか
まったくもって下らないエゴのように思える。
もちろん誰しもが幸せを望み、幸せになりたいと頑張るわけだが
その幸せへ向かって頑張っている時間というのもまた幸せの一つである。
たとえ今が不幸のどん底であったとしてもそれは変わらない。
人生に贅疣など存在せず、すべてに意味があるのだ。
寧ろ、『幸せ』という言葉に翻弄されすぎて
人生における本質的な価値を見い出せないことこそ不幸ではないか。
思い通りにならぬ人生。
やりたいことをやろうとすれば難しく
やりたくないことは避けて通れない。
幸か不幸かではなく、今笑えるかどうかを考える必要がある。
 

消費の巻

2013年10月21日

地下鉄の24時間稼働は本当に実現するのだろうか。
多方面への影響を考慮し後回しにされてきたわけだが
オリンピック招致も決定した今、大きな課題の一つだと言える。
その多方面への影響や大人の事情とやらを無視して考えれば
我々一般人にとっては非常に喜ばしいニュースだと思われるが
予想に反して以下のような声がたくさん存在する。
『終電なので帰りますという逃げ道が無くなる』
つまり、今までは終電を言い訳に残業や上司との付き合いを抜け出せていたのに
終電がなくなるとその言い訳が通用しなくなるというのだ。
何とも日本人らしいというか、世知辛い理由である。
社会の根源的な毒性を垣間見たような気さえする。
だが実際、地下鉄が24時間運営となった場合、どれほどの経済効果が見込めるのか。
終電を気にせずに夜中まで遊べることになるわけだが
終電を気にせず夜中まで遊びたいという大人がそんなにいるとは思えない。
そう考えると、土日だけで充分に事足りそうだ。
とにかく今後は『受動的な税収』ではなく『能動的な消費』が必要である。

媚の巻

2013年10月20日

媚び諂っては愛想笑いで誤魔化す。
そんな大人になりたくないと心に決めていたはずなのに
世渡りするには、どうやらそれらも必要であるらしい。
サラリーマンでも公務員でもヤクザでも、空気を読めなければ肩身は狭い。
たとえ我が道を行く反社会的なパンクロッカーであったとしても。
『この人に気に入られたい』
『あの人には嫌われたくない』
こういった媚びは『カッコ悪い』と指を差される風潮にあるが
恐らく誰しもが無意識のうちに内面に持っているものではないか。
そりゃあ、白々しいゴマ摺りは誰が見たって気色が悪いけども
その場の空気を壊さないように努める気遣いも必要ではある。
バンドマンが世渡りだなんて言うと笑われるかもしれない が
独り善がりの独裁者のような言動は見てて痛々しいし
そういう自分に美徳を見出し酔い痴れている先輩など誰も見たくない。
やはりバンドマンといえど、上手に世渡りする方がメリットは多いであろう。
変に突っ張って周りに煙たがられてまで役者になる必要はない。
あくまで個人の意見だが。

知識の巻

2013年10月17日

毎度のことながら、私のような若造がまるで世間を知った風に物を言うのは
何とも気が引けるというか、おこがましい気分でいっぱいだ。
いくら文面だとはいえ、西日本一腰の低いバンドマンを自称する私としては胸が痛む。
ところが、世の中には『我こそ全能の神だ』とばかりに
僅かばかりの知識をひけらかして人生の先輩を語る曲者がいるから困ったものである。
持ち得る全知すべてをひねり出して言われたことが
『そんなん小学生でも知っとるがな!』という雑学だった場合の対応方法は案外難しい。
相手の顔に泥を塗るわけにもいかず、かといって
『おぉー、初めて知りました!さすが先輩っす!』と下手に出れば
公衆の面前で無知を晒すようなもので腑に落ちない。
世の中には『下克上じゃあ!』と先輩だろうが関係なくブッ込んでいく強者もいれば
私のように自分よりも相手方の体裁を気にしてしまう気弱なタイプもいる。
世の中というのは巧く動いているものだと感心する次第だ。

風の巻

2013年10月15日

一体どれだけ台風が来れば気が済むのか。
性懲りもなくやってきては縦横無尽に走り回り何事もなかったかのように去っていくのだから
まるで猫のイタズラのように、やり場のないため息が溢れるばかりだ。
まぁ猫のように可愛いものではないが。
かつて蒙古の襲来を二度に渡り崩壊させ、みなから神風だと崇められたように
今一度そのような恩恵を我々に与えてくれてもいい頃ではないか。
こうも天災ばかり続くと、しまいには誰も神など信じなくなるだろう。
それはそれでいいかもしれないが。
手を合わせて空虚を拝むことに馬鹿馬鹿しさを覚えて
過去の他力本願な人生から脱却し自身の力で生きていこうと決意する。
うむ、まさに現代人らしい。
神頼みで人生が救われるのなら、とっくに土下座でも何でもしているが
生憎、そうは世の中甘くないうようである。
窮地に陥ったときだけ『神様、一生のお願いですわ!』と泣きついても
『都合のいいやつめ』と跳ね返されるのは目に見えている。
過去の流儀に囚われ盲目的に生きるのなら、すべて脱却して生きるのも一つの道だ。
しかし、人はどう変わろうが『籠の中の鳥』であることに変わりはない。
神を捨てたとて自由になれるわけでもない。
何とも気難しい時代である。

字の巻

2013年10月14日

めっきり字を書く機会が減ってしまって
いざ書くとなると漢字が出てこないことが多々ある。
これが市役所なんかだと非常に恥ずかしいわけだ。
中学レベルの漢字が書けずに四苦八苦している無様さといったらない。
『これってどんな漢字でしたっけ?』なんて聞くのもおこがましいし
『いや~、最近字を書かないものだから漢字が出てこないんですよね~ペラペラ』
なんていちいち言い訳をするのも見苦しい。
それにこんな髭面では『私は低学歴です』と言っているようなものだ。
エリートのように端正に整えていればまだしも
私のはまるで田舎の雑草のそれのように生え放題である。
そりゃモテないわけだ。
低学歴で髭面で刺青だらけで根無し草生活。
モテないなどと言う前に、もう底辺じゃあないか。
ゴミクズのような人間だと言われても仕方がない。まったく。
まぁ、高学歴のみなさんの前で恥を晒すことぐらい何とも思わないのだが
やはり多少ぐらいはササッと漢字が書けるようにしておきたい。
デジタル社会だと言われながらも、人前で字を書く場面は案外多いのだから。
つまりここで難解な漢字をササッと事も無げに書いてみせれば
『この人、ゴミクズみたいな人間のくせに、えらく漢字に詳しいのね!素敵!』
と、女子たちの注目を集めることが出来るわけだ。
不良が捨て猫にこっそりパンを与えているのを女子生徒が目撃した時のアレある。
少しは勉強するか。

 
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