JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

道の巻

2013年09月30日

人生には数え切れないほどの道、つまり選択肢が存在する。
その都度岐路に立たされ、頭を抱えて座り込むこともよくあることだ。

人というのは、選択肢を多く作りたがる。
選択肢の多い人生ほど安心できるのが定石だ。

しかし、よく考えてみると選択肢なんて所詮2つしかないことに気がつく。
『やる』か『やらないか』の2つである。

普遍的な人生を送るサラリーマンであっても
波乱万丈な人生を送る活動家であってもそれは同じだ。

今後の人生に及ぼす大きな影響に臆してしまうのは致し方ないが
過去の選択が正しかったのかどうかなんて自分でも分からない。

どうせなら、自分の選択に自信を持って突き進む方がよい。
それでコケたとしても『自分で選ん だ道だしなぁ』と笑い飛ばせれば最高ではないか。

『あの時ああしておけば・・・』という下らない杞憂は意味がない。
人生なんて、どっちにでも転ぶものである。

スカの巻

2013年09月28日

The Slackersが来日ということでアメ村パンゲアへ。

彼らはヘルキャットレコード所属。
そう、以前我々が大阪でサポートをしたLEFT ALONEと同じ。
結成20年以上だというのに、メンバーの外見がほとんど変わっていないのが驚きだ。
極上のスカサウンドにしばし酔い痴れる。
久しぶりにHotknivesのライブが観たくなった。

抜け殻の行方の巻

2013年09月26日

セミの抜け殻は一体どこに消えるのだろうと、ふと考える。
近所の桜の木にも夏になるとたくさんの抜け殻がぶら下がっているが
夏が終わり秋も深まる頃には、それらはもう跡形もなく姿を消しているのである。

鳥が食っているのだろうか。
それともただ風に飛ばされただけなのだろうか。

訊くところによれば、セミの抜け殻は漢方薬として使えるそうだ。
まさか夜な夜な近所のババアが抜け殻をかき集めて
家で煎じて飲んでいるなんてことはあるまい。
そんな効能の程も疑わしい漢方なんて余計に体を壊しそうだ。

となると、やはり『鳥が食っている説』が有力か。
あいにくGoogle先生でも確かな情報は転がっていなかった。
気になって今夜も眠れない。
誰か教えておくれやす。

夢の巻

2013年09月24日

夢を持つことは素晴らしいことである。
叶うかどうかの問題ではない。
たとえ夢のために人生の大半を費やし、挙句頓挫したとしても
それは決して人生において無駄な時間ではないのだ。

世界征服を企む悪の組織などは、すぐに悪者のレッテルを貼られて成敗されてしまうが
どんなに馬鹿げた夢であっても、まずは話を聞いて理解してやることが大切である。
『世界征服の果てには虚しさしか残らない』という旨を理解させた上で
もっと社会的貢献度の高い夢にシフトさせるべきだ。
それが本当のヒーローであって、大人ではないだろうか。

『少年よ大志を抱け』という言葉があるが
『オッサンたちも大志を抱け』と言いたいところである。

ちなみにこのクラーク博士というのは変わった爺さんであって
どちらかというと固執的な教育方法をとっていた。
学生相手に熱心な布教活動をやっていたり
米は食うな!とよく分からない教育指導をしていたりするもんだから
そんな爺さんに大志を抱けと言われてもなかなか素直にうんとは言えないものだ。

話が反れてしまったが
別にクラーク博士の悪口なんて言うつもりは毛頭ない。
彼のおかげで新渡戸稲造は大きな夢を持ち、羽ばたいていったのだから。
結局、一番大事なことは走り続けることだと思いたい。


休日の巻

2013年09月23日

いつもお世話になっているスパスパ店長こと田尻店長に無理やり誘われ
長岡京ソングラインというイベントに行ったのはいいが
わざわざ私を誘っておきながら、彼は家族みんなで来るもんだから
案の定、私は子どもたちの恰好の餌食となってしまい
炎天下の下、ゲロが出る直前までサッカーの相手をさせられたのである。
噂には訊いていたが、田尻店長に似つかず超絶に可愛い。
私めにもっと体力があればと悔やまれる。
最後は竹原ピストルの歌声が夕日に溶け込んでいくのを見届けながら
うだうだと岐路に着いたのであった。

音楽の本質の巻

2013年09月21日

長年、音楽に携わって生きていると
『本当にいい音楽とはどんな音楽なのか』という初歩的な疑問に立ち止まる。
『信念を持って生み出す音楽』とか、そういう情熱論は今は置いといて
万人が聴いて『これはいい音楽だ』と言える音楽はどういう音楽なのだろう。

綺麗なメロディ?
造詣の深い歌詞?

しかし現在売れている音楽を聴くと、残念ながら上記二つは当てはまりそうにない。
では人々は一体何を判断基準に音楽を選んでいるのだろうか。

フジロックが世界中から超有名バンドをかき集めても動員数は3日間で10万人。
ところがAKB48だと一晩の東京ドーム公演のチケット応募数だけで20万人を超える。

とてもプロモーションだけの差だとは思えない。
この音楽市場のカラクリこそ、音楽に携わる人間にとって興味ないようで実は気になる部分である。

オータムの巻

2013年09月19日

初秋の夜に浮かぶ満月は、ロウソクのようにぼんやりと仄めいている。
意味も持たず流れる川のように、意味も持たず佇む山のように
それはひっそりと、また堂々と姿を留めている。

そうだ。
もうこれは秋なのだ。
オータムインオオサカってやつだ。

秋の似合わぬ街ではあるが、しみったれた空はいつもと変わらず私を睨みつける。
笑えない冗談や余所余所しい人情に疲れ果てて
自宅に引きこもりコーヒーをすすり小説をめくる。
近所の公園へ繰り出せば、哀愁の風に追いやられ踵を返す。

独り身の夜は長く、それがいつしか心地よくなってしまった。
これじゃ結婚なんて死ぬまで無縁だな。
うーむ。

快晴の巻

2013年09月17日

皮肉にも、雲ひとつない快晴の空が広がっていた。
自然とは美しくも残酷である。
洗い浚い吹き飛ばされた都会の空は恐ろしく澄み渡っていて
いよいよ訪れる深秋の気配に嬉しくも寂しくも胸の高鳴りを覚えるのだった。

もう9月も中旬か。
これではあっという間にジジイだ。
やりたいことが山ほどある今、何を優先するかが課題となる。

二兎追う者は一兎も追えずなんて言われるが
一兎だけ追っていてもどのみち一兎しか追えないのだから
それならいっそのこと全部追ってやろうかとも考える。

何かを両立できるほど器用な人間ではないと分かっていながら
どうも昔から一つの事柄に神経を集中することができないのだ。
まったく、損なのか得なのか分からん性格である。

さざなみの巻

2013年09月16日

絶えず押し寄せては人知れず消えてゆくさざ波のように
一日一日が呆気なく通り過ぎていく毎日ではある。
戸惑うことも抗うこともなく
一握の幸せも、一抹の不安も、あの高い空に吸い込まれていくのをじっと見上げて
『今日も無事に生き存えた』と妙な安堵感に打ち拉がれるのだ。
無論、後先短い重病人でもなければ人生に行き詰まっているわけでもない。
ただ何となく、こうして一日が終わっていくことに安堵を覚えるのである。
如何せん、いつどこでくたばるか分からん世の中だ。

遅かれ早かれ誰もが死ぬ運命を抱えて生きている中で
自ら人生を閉ざす者もあれば、ただただ生きることに必死な者もある。
どちらも一つの決断であって、正誤を問う意味はない。
ただ 『早いか遅いか』それだけである。

充実した日々を送ってはいても
『もう悔いはない!いつ死んでもいい!』なんて言える日はきっと来ない。
生き急いで徳を積んだところで報われるような人生でもないし
一日一日をじっくりと味わって生きることが一番性に合っている。
繰り返しの毎日ではなくて、繰り返しの発見こそが人生なのだろう。
うむ、最近何だかおもしろい。

北欧の巻

2013年09月15日

ここ最近、ヨーロッパ、特に北欧の映画が好きになってきている。
暗さと暖かさが混ざったような、あの何とも言えない雰囲気が心地よい。
ハッキリ言ってしまうと、ストーリー自体はパッとしない作品が多いために
映画というよりも、一つの映像作品といった方がいいかもしれない。
スライドショーを見ているような、そんな落ち着きを覚えながら
コーヒーをすすってはのんびり時間を費やすというのも一つの映画の楽しみ方である。

以前にもブログで書いたかもしれないが、こう見えてムーミンが大好きだ。
映画ではないにせよ、個人的には北欧のアニメーションの傑作だと思う。
全体的に漂う悲壮感は、雨降りの暗さのようにしっとりとしていて
奥底の方で轟々と煮え立つ痛烈なメッセージを静かに宿しているかのようだ。
実際、子どものころに初めて観たときは怖くて泣きそうだったのを覚えている。
今度はムーミンのタトゥーでも入れるか。

ちなみに最近観た北欧映画は『ダブリンの街角で』というやつ。
アイルランド好きだから観てみたけど、アイルランド関係あらへん!
かもめ食堂は北欧映画になるのだろうか。
南極料理人は?あれはまた違うか。

とにかく北欧の雰囲気が好きだ。

 
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