JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

識閾の巻

2013年08月29日

まるで生活感のないブログだと常々思っている。
無機質で淡々としたブログではあるが、一応これでも全て自分の言葉で書き連らねている。

言いたいことさえ言えない時代だと揶揄されることもしばしばだが
みな十分に言いたいことばかり言ってるじゃないかと思う次第である。

寧ろ、言論の自由だなんていう都合のいい法律があるんだから
もっともっと自分の言葉を吐き出せばよい。
口に出して言うのが苦ならば文字に起こせばよいのだ。

今の時代、有難いことに
ある程度の皮肉を並べたところで検閲官が血相変えて飛んでくるということはない。
一昔前なら、このブログでさえ『この軍国主義者がー!』と炎上していたことだろう。
まぁ、そういう私もそれなりに言 葉を選んでいるのはご承知の通りだ。

バンドマンに限らず、一般の方よりも発信力のある立場の人間が
本当に好き勝手に喋ってしまう風潮は少し考えものである。
私のようにドマイナーなバンドマンならまだしも
多くの人間に影響力を持つ有名人ともなれば尚更言葉を選ばなければならない。

そういった意味では確かに言いたいことさえ言えない時代ではあるのだろう。
しかし、それは私も含め一般人こそが言いたいことを言うチャンスであると言える。

幸甚の巻

2013年08月27日

タイのバンコクにいるような蒸し暑さが続いていたが
昨日今日と幾分涼しく心地よい夜を迎えている。

そんな少しばかりの涼しさに秋の予感を感じたりなんかして
夜の四十万に凭れ掛かっては窮屈で退屈な都会の夏を過ごしている。

近所の銭湯で爺さんの身の上話に耳を傾けたり
蝉の亡骸に哀れみを感じて念仏を唱えてみたり
日常の忙しさの中でふと立ち止まり子供じみたように考えてみる。

大人になりたくないと。

豪雨の巻

2013年08月26日

水しぶきで目が覚めた。

夏の間はいつも窓を全開にして寝ている。
大変に風の抜ける立地であるため、熱帯夜でも冷房要らずだ(そのかわり冬は寒いのだが)
普通の雨であれば別段に問題はない。
しかし昨日のあの朝の豪雨は網戸を突き抜けて私の顔をピシャピシャと打つのだった。
このご時世、雨に打たれて目が覚めるなんてあるだろうか。
あの豪雨が残暑を洗い流したかのように、今日は驚くほど涼しい一日だった。

一般的に雨の日には『あいにくの雨』なんて言ったりするが
北陸地方ではこの言葉は使われないと訊いたことがある。
農業の盛んな地域において、雨は『恵みの雨』であることから
雨は本来喜ぶべきことであるという風習だそうだ。

とは言うものの、 朝起きて雨だったときに
『よっしゃー!雨やー!』と喜び飛び跳ねる人間はそういるもんじゃない。
干魃した世紀末のような大地ならともかく
やはり雨の日は少しばかり気が滅入ってしまうものである。
まぁ、私は雨の日も嫌いではないのだが。


昨日、友人の子供と遊んだところ数時間でクタクタに。
ちょっと前まで赤ちゃんだったのに、もう普通の子供になっていることに驚きを隠せなかった。
成長とはものすごいスピードだと痛感。
そりゃ自分も歳をとるはずだ。

昔はあまり子供が得意ではなかったが、最近は可愛くて仕方がない。
人の子がこれだけ可愛いと思えるなら、自分の子だと一体どうなるんだろうか。

宿題の巻

2013年08月23日

学生時代、夏休みの宿題は先に終わらせるタイプであった。
後半にもなれば、夏休みが終わっていく絶望感と夏が終わっていく悲壮感が相まって
とてもじゃないが宿題なんて出来る状態じゃないからだ。

そんな中でも、読書感想文は大の苦手で最後まで苦戦していた。
大した語彙も持たない子供が原稿用紙に何枚も見解を述べるなど不可能じゃないか。
そんなもの『面白ろかった』か『つまらなかった』だけでよい。

ただ、中学時代に森鴎外の高瀬舟をテーマに書いたのをよく覚えている。
あの感想文はできれば読み返してみたい。
母校に取り合ってみたところで、さすがに保存なんてしてないだろうな。

今思えば、学生時代の備品などがまったく残っていない。
家庭の 事情や引越しなど色々あって、余計なものは捨ててしまった。
当時は『こんなもの置いてたって無意味だ』とばかり思っていたが
大人になってから、こんなにも急に過去に縋りたくなることがあるとは思わなかった。

過去の自分を懐かしむことは、どこか郷愁にも似た安堵感がある。
記憶の断片をかき集めて、過去というパズルを組み立てるのもおもしろい。

かつての友達の言葉の意味だったり、大人たちの都合だったり
当時はどこにもハマらず持て余していたパズルのピースが
今になってようやくカチッとハマることがある。

過去はただ通り過ぎていった時間ではなく、時を紡ぐものだ。
すべての過去が未来にリンクしている。

描写の巻

2013年08月22日

『はだしのゲン』を学校に置くべきかどうか。
随分昔にも話題になった覚えがあるが、近頃またネット上で取り沙汰されている。

『暴力的、残虐的な描写が子供に悪影響』というのが議論の主だとされているが
それ以前に作者の少しばかり偏った思想の描写を問題視する必要がある。

基本的に右派や左派を取り上げて否定するなんて野暮なことはしないが
やはり偏った思想というのは教育現場において相応しくないはずだ。

戦争の悲惨さを伝えるのは大切なことだが
わざわざ子供が読む漫画の中で天皇批判や歴史の捏造をやる必要があるだろうか。
そういうのは某新聞社さんに任せておけばよい。

子どもたちには真っ直ぐ育って欲しいものである。

里帰りの巻

2013年08月20日

みな里帰りから戻ったのだろう。
しばらく明かりの少なかった向かいの団地に、またいつもの日常が戻ってきていた。
カーテン越しにそれぞれの幸せが揺らめいているようで、独り身の私には妙に堪えた。

人様の幸せを素直に祝ってやれるほど余裕のある人生ではないものの
やはり大人になるにつれて少しずつ『幸せ』に対する考え方も変わってきている。

そもそも幸せだなんて口にするだけでも歯痒かったはずが
いつしか人の幸せに同調して心温まるような、まるで善人じみた心持ちを覚えるばかりだ。

他人の不幸は蜜の味とよく言うけれども
本当に他人の不幸で飯が食えるような極悪人はそういないだろう。
『人間みんな呪ってやる!』なんて怨念に満ちたような人間であっても
小さな幸せ一つで心が揺れ動いたりするものだ。

自分の幸せばかりを追い求めていても、それが虚しさに変わってしまう時期がある。
その虚しさといったら、まさに不幸 とも呼べるほど嫌悪に満ちている。

ボンクラと盆暮れ

2013年08月19日

盆も暮れて、いよいよ夏も後半戦を迎えたわけだが
今思えば、今年は全然夏らしいことをしていない。
頻繁に遠くへ出かけたわけでもなく、ひと夏のアバンチュールに燃えたわけでもなく。
指折り数えるほどの思い出が足元に転がっているばかり。

その転がった思い出を拾い上げては少しの寂しさを胸に留めて
年甲斐もなく慟哭にも似た心の叫びを夜空へ投げかけるのであった。
うむ、我ながら気色が悪い。

そうして毎年、これを観なければ盆を終えることができない。
『おもひでぽろぽろ』
都会に出てきて田舎を憶う気持ちはいつだって変わらないものだ。
いつまでも色褪せない何かが、誰の胸の中にだってある。
うむ、我ながら気色が悪い。

さて、残りの夏も
素敵に過ごそうじゃないか。
まだまだ夏は終わらんぜよ。
廃校巡りツアーに参加希望の方はメール下さい。

芸術の巻

2013年08月18日

音楽にしても、その他諸々の芸術にしても
行き過ぎたオリジナリティというのは対人を困らせる。
そのギリギリの線を見極めて、誰にも真似できない作品を生み出すのが芸術だ。

ただ常識の枠から抜け出しただけの異質な作品などガラクタでしかない。
それらを現代的なモダンアートだと銘打って高々と飾り付けるのもまた滑稽である。

しかしながら、いざそのような自慰的な芸術作品を前にした時に
内心は『これのどこがアートなんだ?』と思ってはいても
周りがそれを持て囃している場合は『芸術を理解できている人』を演じなければならない。
そこで『こんなもの、価値のないガラクタですね』なんて口に出してしまえば
たちまち『芸術の分からないヤツ』というレッテ ルを貼られて田舎者扱いだ。

たとえ他のみんなが同様の気持ちであっても、それを口に出してしまった時点で
『空気の読めない痛いヤツ』となってしまうからタチが悪い。

かく言う私自身も、このような状況で本音を言えるほど根性がない。
苦虫を噛み潰したような顔を隠して『斬新ですね~』と言うのが精一杯である。

まぁ基本的に個展などのアートギャラリーは居た堪れなくて苦手だから
マンホールの模様だとか、街中に数奇的に出来てしまった芸術を見ている方が面白い。

リゾートの巻

2013年08月16日

うちのビリー69氏が2週間ほど渡米。
富山のDICE FOR LIGHTSのサポートドラマーとして
アメリカツアーに参加するそうで、羨ましい限りである。
ツアーである以上は楽しいことばかりではないと思うが
あの爆発的なエネルギーを存分に発揮して楽しんで頂きたい。

そういう私は今、ビーチリゾートへ行きたい。
柄にもなく、ミーハーな旅情が私を駆り立てる。
ハワイ、モルディブ、フィジー、タヒチ・・・・
以前はからっきし興味がなかったくせに、今となっては声を大にして言いたい。

『ビーチリゾートに行きたいんじゃ!』と。

別に水着女性をはべらかす気もなければ、ショッピングに興味があるわけでもない。
山間の閉塞的な田舎で生まれ育った私にとって
燦々と開放的に降り注ぐ太陽や、カラッと渇いた潮風には寸分の憧れがあったりするのだ。

やはり、その中でもハワイだけは私の心を掴んで離さない。
かつては『ハワイなんか行くヤツの気が知れん!』と小馬鹿にしていたが
たくさんのハワイフリーク達からハワイの魅力というやつを聞かされると
どうしても私の好奇心は無視できないようで、もうすでに浮き足立っている。

東南アジアのビーチリゾートは何度か行ってるが、ハッキリ言ってあれはリゾートではない。
リゾートなら、ビーチでナンプラーの匂いが漂ってくるだろうか?
物売りの少年に囲まれてハンモックを売りつけられたりするだろうか?
バイクタクシーにひかれそうになるだろうか?

まぁ、もちろんアジアのそういうドープな面も大好きではあるのだが
今の私は本当の、本物 のリゾートを求めているのだ。
行きたい行きたい行きたい・・・

熱帯の巻

2013年08月14日

まったく、この暑苦しい日々はいつまで続くのだ。
あれほど風流だった蝉の声も既に鬱陶しく窓を叩いているこの頃。
いくら夏が好きとは言え、さすがに気が滅入りそうである。

古くから『涼を取る』という言葉があるが
電気のない時代の人々は一体どうやって夏をやり過ごしていたのだろう。
冬なら火を焚けば何とかなりそうな気もするが、夏は逃げ場がない。
全裸で何もかも放り出して過ごしてみても暑いに決まっている。
そう考える現代人というのは本当に恵まれているものだ。

そんな恵まれている時代であっても
私腹を肥やす者もあれば、今日の飯にさえ困る者もあるのだから
世知辛いというべきか、何とも阿漕な世の中である。

ちなみに貧困の最も大きな原因は教育の欠如だと言われている。
では、教育の充実したこの国で貧困に成り得る原因は何なのだろう。
『恵まれている』という土壌そのものが弊害なのかもしれない。

 
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