羞明の巻
2013年06月18日
身体が見事に絶不調である。
まるで悪霊にでも取り憑かれているような気怠さだ。
別に幽霊の恨みなど買った覚えはない。
もしやご先祖様の怒りか。
そりゃ確かに、うだつの上がらぬボンクラ生活を送ってはいる。
況してや、いい歳して子孫繁栄の蚊帳の外で遊び呆けているわけだから
先祖の皆様はさぞかし不安でいらっしゃるだろう。
いや、仮に本当に先祖が心配してくれてるならまだいい方かもしれない。
このままゆけば、先祖からも見放されるのは時間の問題だ。
人生の根本的なテーマは『自由に生きる』という具合だが
この世に本当の自由なんてものは存在しないわけで
皮肉にも、我々は産声をあげた瞬間から何かしらの宿命を背負うのである。
たとえ社会と
は無縁のジャングルの奥地で生まれたとしても
そこには守らなければならない何かが存在しているわけだ。
かといって人生に大義名分などあるのかといえばそうではなく
子孫繁栄という何とも掴みどころのない言葉で片付けられてしまう。
では我々の存在意義というのは、ただ『子孫を繁栄させる』ことにあるのだろうか。
これは個人的な見解だが
少子化というのもまた自然の摂理なのかもしれない。
ある一つの種が長い年月をかけて途絶えていく。
これは宇宙全体から見れば、風で木の葉が揺れるのと同じように
なんの変哲もない自然界の出来事の一つに過ぎないのだ。
一つの種が滅んで、また新たな種が生命活動を繋げてゆく。
そのうちの過程の一つに過ぎない我々人類
が
まるで自分たちが全てを支配してるかのように驕り耽っているのは
何とも馬鹿げているような気さえする。
産めよ増やせよの富国強兵の時代は過ぎ去り
時代を引率する経済大国へと育った国において
少子化は至極当然の流れであるといえる。
金をばらまくだけの少子化対策など功を奏さない。
結婚して子を産むことが何よりの幸せだという考えは
現代社会では既に風化してしまっているのではないか。
女性の社会進出が当たり前になり
また違う分野において幸せを求めることが現代女性の生き方なのかもしれない。