推轂の巻
2013年06月13日
プレイステーション4が公開されたが、何だか予想以上に大きくてゴツゴツしている。
ソニーさんのことだから、もっと近未来チックに仕上げてくれると思っていたのに。
まぁゲーム機本体なんて基本的にテレビの下に放り込んでおくものだし
インテリアとしての用途なんてまるでない。
どうせならもう少し重くして漬物石の代わりにでも出来るならよいが。
少年時代はファミコンが主流で
朝から晩まで外で遊んだ後は夜中までファミコンをしていたものだ。
今の携帯ゲームにさえ劣る荒々しい画質だったが
当時は時間も忘れて没頭したものである。
そして彗星のごとく現れたスーパーファミコンは
瞬く間に世の少年たちの心を鷲掴みにして離さなかった。
何てったって
『スーパー』なのだ。
『スーパー』が付けば何でも凄いのだと確信を抱いていた我々少年たちは
『一生に一度のお願いだ!』と心にもなく親にせがんでは誕生日やクリスマスを心待ちにするのだった。
今では親の世代がゲーム好きで
子供が生まれてくる前から家にゲーム機があるというのは普通のことだ。
しかし当時の親世代にとってはゲーム機なんて悪の根源でしかなかった。
今思えばなぜそこまでテレビゲームに敵対心を抱いていたのかは分からないが
恐らく『ゲームばかりして勉強しない』というのが理由だろう。
しかし、勉強しない子供というのはゲームがなくても勉強しないわけで
何より算数や理科の問題に頭を抱えることばかりが勉強ではない。
子供というのは、生
きていることが勉強なのだ。
学業というのはプラスアルファでしかない。
大きな感受性で広い世界を見ることで自我が段々と芽生えてくるのだ。
そんな時期にわざわざ小さな世界に閉じ込めてやる必要はない。
