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ウッシーのコラム

アイルランド一人旅日記の巻

2013年05月29日

随分とご無沙汰している旅日記。
今回はアイルランドのダブリン編をお届けしよう。
稚拙で大した面白みもない日記ゆえ、興味ない人はスルーして頂きたい。


—アイルランド一人旅日記—
【第一部 ダブリン編】

時計は夜の7時を回っていた。
ダブリン空港は静寂に包まれ、遠くで足音だけが響いていた。
入国審査の太ったオヤジが目を丸くして私を見る。
こんな西の果てに、しかもオフシーズンに東洋人が一人で何をしに来たのか。
そのような面持ちで私の顔とパスポートを交互に睨みつけ、面倒臭そうにスタンプを押した。

市内行きのバスに乗客はほとんどおらず、ただオレンジの街灯が静かに流れてゆく。
窓ガラス越しのアンティーク調の町並みは映画のスクリーンのように現実味を伴わない。
どこか物悲しく感慨深い空気が妙に心地よくて
その海の底のような静けさに暫く心を預けていると
いつしかバスはダブリンの中心地、テンプルバーの側に停まっていた。

バスを降りると肌を刺すような寒さが首元を通り抜ける。
随分と長い間バスに揺られていたようだった。
遠に外の寒さなど忘れてしまっていて
先程までの車内の心地よさが夢物語のように白い息とともに消えていった。

石畳がずいぶん向こうの角まで続いて
その石畳を見下ろすように両側にアイリッシュパブが立ち並んでいる。
子供が描いたクレヨン画のような、どこか幼稚な色合いのその建物は
暗く静かな北欧の夜に混ざって大人びているように見えた。
そんな石畳の町並みに立つと、ようやく北欧に来たのだと実感が湧きだして
まるで絵本の中に吸い込まれたような、そんな乙女のような純朴な感情を覚えるのだった。


『ソーリー、ノットエンプティー』
宿の若い女店主はアジア人向けとも思える単調な英語で笑顔を崩しながら言った。
オフシーズンにも関わらず、最初に飛び込んだ宿は満室だという。
やはり、バックパッカー向けのゲストハウス自体が少ないのであろう。
空いてる安宿が見つかったのは、それから漸く1時間も歩いた後であった。


余談だが、私は出発前に準備という準備を一切しないでいた。
無論、それはいつものことであって特別なことではなかった。
宿の手配もしなければ、どこに行こうかなんて一切考えずに飛行機に乗るのが好きだ。
あるのは少しばかりの現金と往復の航空券だけで
あとは有り余る時間だけが私にとって唯一の荷物であった。
いつもと同じ。
用意された旅路も、見え透いた結末にも興味がなかった。


宿は テンプルバーから南に30分ほど下ったところで
大通りを一本入っただけで辺りはもう暗闇に沈んでいた。
寂れたレンガ造りの佇まいが一層に旅愁を駆り立てるようだった。
外国映画のセットのような景観があまりにも普通に眼前にあるものだから
俄然、先ほどのバスの中のようにどこか異世界のようで滑稽だった。


華やかな表向きのすぐ傍で息づいている生活感が堪らなく好きである。
どんな観光名所であっても、そこには川の水のように常々流れ続けている日常があるのだ。
その日常に耽り込んでようやく何かが見えてくるのは、旅のおもしろさでもある。


民家の前を通ると夕食の匂いがした。
異国の果てに来たという気持ちの昂ぶりが空腹さえ忘れさせていたのだろう。
テンプルバーへ食事に行くことにした。
夜の海に映る船の灯りのように、ぽつぽつと街灯が揺れている。
凛と引き締まった空気のためか、近くで見てみるとホオズキのように煌々と足元を照らしていた。
それが街のいたるところに大きく不気味な影を作って街の静けさをさらに際立たせて
いる。

大衆的なレストランといった店はすでに閉店していて、少しひっそりとしたパブの奥へ腰を下ろした。
真っ白なヒゲをたくわえた店主は怪訝な顔を隠すように笑顔を作って注文をとりにきたが
私のことを日本人だと知ると、まるで別人のように振舞ってくれたのだった。
ついには『うちに泊まっていいぞ』と誘ってくれたが
残念ながら翌日の夕方にはコークという町へ移動する予定だった。

宿を見つける前にこのオヤジに出会ってればと悔やまれたが
旅の出会いとはそういうものである。
目の前の現実が全てで、それらがすべてのドラマに繋がっていくのだ。


宿に戻ると、私はそのまま眠りに落ちてしまった。
静寂に沈んだ町に飲み込まれるようだった。
それはひっそりとした夜だった。
【第二部 コーク編へつづく】