JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

鼻歌の巻

2013年05月31日

自転車に乗りながら、結構なボリュームで鼻歌を歌っている人をよく見かけるが
あれは誰かに聴かれてもいいという決意の上で歌ってるのだろうか。
前を走ってる人が熱唱してたりすると
追い抜くときに何とも言えない空気が流れるわけで
特に綺麗な女性がマキシマムザホルモンなんか歌ってたりすると
それはそれは非常に気まずい 雰囲気になる。

私は別に何も気にしないんだが
『はっ!聴かれた!』という感じの顔色をされたりすると
何かこちらが悪いことをしたような気持ちになって
足早にその場を去っていくことになるわけだが
家に帰ってから『なんでや!』と憤慨するのである。

歌うなら堂々と歌って頂きたい。

あと、選曲もそれなりに大事だ。
私の場合は、自転車に乗るときはいつも一人DJをしている。
無論、ipodではなく脳内再生だ。

そんな何の得にもならないことに全力を注いでいる。
人生、損なことばかりじゃないか。
損得勘定などやっていても時間の無駄である。
それに『損』と『無駄』は意味が違う。
損はいつか得に変わるということを忘れてはいけない。

アイルランド一人旅日記の巻

2013年05月29日

随分とご無沙汰している旅日記。
今回はアイルランドのダブリン編をお届けしよう。
稚拙で大した面白みもない日記ゆえ、興味ない人はスルーして頂きたい。


—アイルランド一人旅日記—
【第一部 ダブリン編】

時計は夜の7時を回っていた。
ダブリン空港は静寂に包まれ、遠くで足音だけが響いていた。
入国審査の太ったオヤジが目を丸くして私を見る。
こんな西の果てに、しかもオフシーズンに東洋人が一人で何をしに来たのか。
そのような面持ちで私の顔とパスポートを交互に睨みつけ、面倒臭そうにスタンプを押した。

市内行きのバスに乗客はほとんどおらず、ただオレンジの街灯が静かに流れてゆく。
窓ガラス越しのアンティーク調の町並みは映画のスクリーンのように現実味を伴わない。
どこか物悲しく感慨深い空気が妙に心地よくて
その海の底のような静けさに暫く心を預けていると
いつしかバスはダブリンの中心地、テンプルバーの側に停まっていた。

バスを降りると肌を刺すような寒さが首元を通り抜ける。
随分と長い間バスに揺られていたようだった。
遠に外の寒さなど忘れてしまっていて
先程までの車内の心地よさが夢物語のように白い息とともに消えていった。

石畳がずいぶん向こうの角まで続いて
その石畳を見下ろすように両側にアイリッシュパブが立ち並んでいる。
子供が描いたクレヨン画のような、どこか幼稚な色合いのその建物は
暗く静かな北欧の夜に混ざって大人びているように見えた。
そんな石畳の町並みに立つと、ようやく北欧に来たのだと実感が湧きだして
まるで絵本の中に吸い込まれたような、そんな乙女のような純朴な感情を覚えるのだった。


『ソーリー、ノットエンプティー』
宿の若い女店主はアジア人向けとも思える単調な英語で笑顔を崩しながら言った。
オフシーズンにも関わらず、最初に飛び込んだ宿は満室だという。
やはり、バックパッカー向けのゲストハウス自体が少ないのであろう。
空いてる安宿が見つかったのは、それから漸く1時間も歩いた後であった。


余談だが、私は出発前に準備という準備を一切しないでいた。
無論、それはいつものことであって特別なことではなかった。
宿の手配もしなければ、どこに行こうかなんて一切考えずに飛行機に乗るのが好きだ。
あるのは少しばかりの現金と往復の航空券だけで
あとは有り余る時間だけが私にとって唯一の荷物であった。
いつもと同じ。
用意された旅路も、見え透いた結末にも興味がなかった。


宿は テンプルバーから南に30分ほど下ったところで
大通りを一本入っただけで辺りはもう暗闇に沈んでいた。
寂れたレンガ造りの佇まいが一層に旅愁を駆り立てるようだった。
外国映画のセットのような景観があまりにも普通に眼前にあるものだから
俄然、先ほどのバスの中のようにどこか異世界のようで滑稽だった。


華やかな表向きのすぐ傍で息づいている生活感が堪らなく好きである。
どんな観光名所であっても、そこには川の水のように常々流れ続けている日常があるのだ。
その日常に耽り込んでようやく何かが見えてくるのは、旅のおもしろさでもある。


民家の前を通ると夕食の匂いがした。
異国の果てに来たという気持ちの昂ぶりが空腹さえ忘れさせていたのだろう。
テンプルバーへ食事に行くことにした。
夜の海に映る船の灯りのように、ぽつぽつと街灯が揺れている。
凛と引き締まった空気のためか、近くで見てみるとホオズキのように煌々と足元を照らしていた。
それが街のいたるところに大きく不気味な影を作って街の静けさをさらに際立たせて
いる。

大衆的なレストランといった店はすでに閉店していて、少しひっそりとしたパブの奥へ腰を下ろした。
真っ白なヒゲをたくわえた店主は怪訝な顔を隠すように笑顔を作って注文をとりにきたが
私のことを日本人だと知ると、まるで別人のように振舞ってくれたのだった。
ついには『うちに泊まっていいぞ』と誘ってくれたが
残念ながら翌日の夕方にはコークという町へ移動する予定だった。

宿を見つける前にこのオヤジに出会ってればと悔やまれたが
旅の出会いとはそういうものである。
目の前の現実が全てで、それらがすべてのドラマに繋がっていくのだ。


宿に戻ると、私はそのまま眠りに落ちてしまった。
静寂に沈んだ町に飲み込まれるようだった。
それはひっそりとした夜だった。
【第二部 コーク編へつづく】

入梅の巻

2013年05月28日

入梅の知らせに木々の緑も深まったように見える。
鬱陶しい季節だと憂鬱になる人は多いだろうが
嘆いてみても梅雨は明けてはくれないのだから、どうせなら梅雨を満喫するべきだ。

『雨の日』を楽しめない人が多いのは事実である。
雨だからと、その日一日を無精に過ごしてしまうのは勿体ない。
どうせ外に出ら れないなら、インドアライフを満喫すればよいのだ。

まず、雨の日というのはリラックス要素に溢れている。
薄暗い部屋、雨音、しっとりと流れる時間。
好きなお香でも焚いて、想いを巡らせたりする。

何も考えず、何もしない。
安堵感に満たされ、心の中が洗い流されてゆくのが分かる。

ほら、雨の日もいいじゃないか。

やる気の巻

2013年05月27日

やる気が出ないときの対処法とは。

人間誰だって気分の乗らない日、やる気が出ない日はある。
かといってそれを外見に出すと『大人なんだから我慢しなさい』と叱られる。
ロボットじゃあるまいし、毎日毎日『いい人』でいられるはずはない。
ロボットみたいに何も考えずに生きられれば、それほど楽なことはないが。

私自身、やる気がなく木偶の坊のように一日を過ごすことだってある。
やる気がない時に、やる気を絞り出そうとしても結局何も出てこないものだ。
『もうどうでもええわ!』と馬鹿みたいに開き直って
『俺はクズ人間だ!うぉー!』なんて虚しささえ笑い飛ばせる性格でもない。

『やる気がない状態』というのは決して怠慢ではないと言える。
いわばニュートラルの状態で、ギアが噛み合ってないのだ。
信号待ちの間ぐらいはニュートラルで休みたいではないか。
信号が変わってもなおギアを入れずに止まっているから叱られるのであって
やる気がない状態の自分をただ責め立てる必要はない。
要は、上手にサボッてやった方がいいということだ。

やる気がないときは
『今日はやる気がない!ほっといてくれ!』と上司に宣戦布告するべきである。
あなたが会社にとって必要とされている人材ならば
『何を言ってるんだ!しっかり働きなさい!』と叱責を受けるだろうが
あなたが会社にとってどうでもよい人材ならば
『よし、散歩でもしておいで。そして一生戻ってこなくていいよ』と優しい言葉を頂くはずだ。

そうなれば、 もうあなたは自由の身だ。
ファイト!

旅出の巻

2013年05月26日

少し湿った夜風が季節の移ろいを告げる。

いつの間に春は過ぎ去ってしまったのか。
その残酷な時の流れに息苦しささえ感じる。
大都会に生きている。
一個人の感情なんて海岸の砂粒のように流されては埋もれてゆく。
吐いて捨てるほどの時間の中で、一体どれだけの『意味』が転がっているのか。
別に心が病んでいるわけではない。
ただ、ふと客観的に遠くの方から自分の人生を見つめてみたときに
心の中に鉛を詰め込まれたような、そんな形容しがたい心持ちを覚えるのだった。
人里離れた崖っぷちに咲く花に
『お前は何のために生きているのだ』と訊いてみても
『理由などない』と一掃されるであろう。
馬鹿げた疑問に立ち止まるたびに人間臭さが鼻につき
何もかもが嫌になって引きこもりたくなる。
もう一度言うが、別に心が病んでいるわけではない。
淋しさを遠ざける日もあれば
自ら手を差し出す日もあるわけで
要は未だにガキなのだろう。
心の中に詰め込まれた鉛の塊をとるために
そろそろ旅に出ようかと思っている。

杞憂の巻

2013年05月24日

友人、家族、恋人、生活・・・。
自分を取り巻く環境そのものがいつしか当たり前になって
まるで人生に備え付けられたかのような錯覚を覚えてしまう。
その傲慢さに気づかず我々は目の前を流れる時間に都合よく体を預けて
『いつもと変わらぬ毎日』を過ごしている。

『いつでも会える』
『いつでも言える』
『いつでも出来る』
そういった何の確証もない言葉が知らず知らず大きくなって
いつか自分から大切なものを奪い去ってゆく何かへと変わってゆく。
忙しさに溺れ、杞憂の念さえ感じない毎日が積み重なって
いつかその杞憂が後悔に変わって押し寄せてくる。

人生とはシンプルなようで難しいものだ。
長らく会っていない
友人に会いに行こう。

登頂の巻

2013年05月23日

80歳でエベレスト登頂だって。
これでもう誰も歳のせいにして逃げられなくなったんじゃないか。
『あの頃は若かった』と尻尾を巻いて逃げてみたり
『そんなことできる歳じゃない』と大人はよく言うけれど
80歳のジジイにエベレスト登られちゃ言い訳は立たぬ。

『あの人は特別なんだ』なんていう、ひねくれたオッサンもいるだろうが
『あの人に出来て、あなたにできないわけがないわ』
なんて奥さんに諭されでもすれば、きっと重い腰も少しは上がることだろう。
子供の頃ってのは逆に
『あの子はあの子!あんたはあんた!』なんて諭されたものだが
いつから男ってのは長いものに巻かれたくなってしまうのだろうか。

男たちよ、野望を捨てるなかれ。
どんな
アホらしい夢でも、持ってるのと捨ててしまうのでは大きく違う。

それはそうと死ぬまでに一度はエベレストに登ってみたいものではあるが
何でも登るだけで登山料250万円取られるそうで腑に落ちない。
何なんだ、その250万円という金額は。
完全にヤクザな商売してやがる。
エベレストに登るのを我慢すればピッカピカのCB750k0が買えるじゃないか。
今どきプライスレスだなんて犬だって食いやしない。
うーむ。

ネパール政府がいつか血迷って無料開放でもしてくれればいいんだが
『よし、俺も登ってみよう』なんていう能天気な阿呆が世界中から集まってくるに違いないし
もうそれだけで『エベレストに登る』という有り難みなんてなくなってしまう。

もし80歳まで生きて
たら挑戦してみるか。

風の巻

2013年05月22日

夜風が心地よくて意味もなく自転車を飛ばしてみたり。
車も単車もいいけど、たまには自転車もよいものだ。

虫の声が耳にちらつき始めると、ふと思い立って遠くへ行きたくなる。
遮られた自由に戸惑って、逃げ場所を探している。
逃げ込む穴などあるわけもなく、然し見晴らしのよい人生でもない。

不器用な生き方しかできないくせに、わざわざ一筋縄ではいかない人生を選ぶもんだから
いつも目の前の不条理に抗いながら世間様の前では格好ばかりつけている。

幸せに向けて邁進しているようで
実は向かっている先はまったく違っていたりする。
思い描いていた幸せなど遠い昔に置いてきてしまった。

そんなことを考えながら自転車で風を切って走っている。

トレンドの巻

2013年05月21日

最近のトレンドなのかは分からないが
ほんのりと味がついたミネラルウォーターをよく見かける。

新商品は一通り買ってはいるものの
それは決して『みかん味の水』ではなくて
『氷が溶けきったあとのオレンジジュース』としか言い様がなくて
微妙な不快感が口に残るわけだ。

薄めたオレンジジュースなんて不味くて絶対に売れないだろうけども
水にちょっとオレンジのフレーバーを付けたら馬鹿みたいに売れる。
どちらも同じ薄いオレンジジュースには変わりないのに。

それならば普通のオレンジジュースを何十倍にも薄めて
『みかん味の水ですよー』なんていって売ればボロ儲けじゃないか。
いや、もう完全に詐欺のレベルである。
人間の心理なんてよく分か
らんもんだ。
これからは隙間産業を探していくべきか。

そういえば、ココナッツジュースも似たようなものだ。
ココナッツにストローを突き刺して美味しそうに飲んでる映像がよくあるが
実際に飲んでみると決して美味しいとは言えない代物だ。
いや、明らかに不味い。
憧れている人は覚悟しておいた方がいい。

雨の巻

2013年05月20日

生駒山頂からタイフェスティバルへ。

そういえば去年も同じだった。
まぁ去年は生駒山の麓で単車が召されたのだが。
今年は無事に大阪市内へ帰ってきたかと思うと
タイフェスティバル会場は雨。

ぬかるみに足を取られながら
まるで雨季のバンコクのようだとはしゃぐ。
いよいよ、生駒への移住決意が本気になってきたこの頃。
いい物件あれば教えて頂きたい。
 
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