JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

空の色の巻

2013年04月30日

なぜ空は青いのか。
そんな常識的なことにふと引っかかってしまったとき
もう夜も寝付けないほどに考え込んでしまって
とうとう気でも狂ったかと自分で自分を案じる。

学者の尤もらしく並べられた言葉ではなくて
もっと絵本のように直感的で本能的な言葉を求めてしまうが故に
余計に答えなど見つからず悩み耽るのだ。

何十年も生きてきて偉そうなことばかり言ってるくせに
空が青い理由も海が青い理由も分かりゃしない。
辞書でも引けば良くできた解答が転がっているだろうが
それをしてしまうのは面白味がない。

いつか、自分の目で見て答えを知るのだ。
もし死ぬまで見つからなけりゃ、それはそれでよい。
そんな耽美主義的な生き方が好きである。

連休

2013年04月29日

ゴールデンウィーク。

みなさん、いかがお過ごしだろうか。
私はというと
本当は自宅に引きこもり映画と読書とゲームに耽ってやろうと企んでいたが
気がつけば遊び呆けては疲れ果てて
訳も分からぬまま休日最後の夜を迎えている次第である。
そして今夜は朝まで映画を観て過ごしてやろうと思いつつ
重いまぶたを懸命に持ち上げながらブログを書いている。
昔は2日3日ぐらい徹夜しても平気だったのに。
さて、体内時計のリセットだ。

日長の巻

2013年04月26日

陽の長くなった頃合というのは随分と感慨深いもので
西の空の眩しさと東の空の仄暗さとが何とも奇妙に相まっては
愈々訪れる夏の始まりに心躍らされるものだ。

鋭く頬を拭っていた夜風も段々と丸みを帯びてきたようで
緊張にも似た一抹の喜びが思慮を駆り立てるのであった。

どこか無機的で、どこか観念的な季節の移ろいに惑わされて
大地の息吹に同調した何かに心を奪われてしまう。
スーっと鼻の通るような心地のよさに似ていて
心の奥底に澱んだ陰惨な感情の欠片でさえも
それに混じって淡く麗らかに流れ出てしまうのだ。

そんな姑息な夏の兆し、夏の足音の近づくのを
毎年毎年幼子のように待ち侘びては浮き足立っているのである。

春夏秋冬というの は生き物の一生の縮図であって
春夏秋冬それぞれの中にもまた春夏秋冬があるといえる。
花が咲いては散るように、それは生と死の刹那の重なりである。
どれだけ自身の人生を懐疑してみても結局は咲いて散る運命なのだから
人間らしく生きるというよりももっともっと幼稚で本能的な生き方の方が
生き物らしい生き方だと言えるのかもしれない。

実写の巻

2013年04月25日

魔女の宅急便の実写化について世間で騒がれているようだが
ジブリの実写化ではなくて、原作の実写化だということを念頭に置くべきだ。

大抵、アニメの実写化が失敗だと言われる要因はここにある。
そもそも実写化というのはアニメーションを具現化することが趣旨ではない。
よく『あのアクションを実写でどう表現するのか?』なんて言われたりするが
当の構成陣たちは、そこに要点を置いているわけではないだろう。

観る側からすれば『そこが観たい』というのが本音だけども
作り手側が勝負したいのはそこではないという相違が発展して
結果『失敗だ』と言われてしまうのではないか。

実際、今回の魔女の宅急便にしても
魔女がホウキで空を飛ぶことが主体なわけだが
それをCGで実写化するのは誰だって出来るし『普通』でしかない。
それならば『魔女の見習いが一人前の魔女へと成長していくヒューマンドラマ』
という点に重点を置いて実写した方がよほど面白いではないか。

そういうことも含めて
『アニメと全然違う』と言ってしまうのは野暮であると言える。

最後に、映画の評論家が嫌いだと吹聴しているくせに
評論家みたいに能書きを垂れて倨傲している私をどうか許して頂きたい。
所詮、私の戯言なのだ。

イケメンの巻

2013年04月24日

イケメンすぎて国外追放か。
なかなかユーモアに富んだニュースだ。
ここまでイケメンならきっと何をしても許されるのだろう。
満員電車で女性のお尻を触ったとしても
恐らくギャアギャア騒ぎ立てる女性はいないだろうし
それこそお茶に誘われて断る女性もそうはいないだろう。

たとえニートでも包茎でも、それこそハゲてても私よりはモテるに違いない。
ちきしょう神め。何が平等だってんだい。

まぁこんなブログで嘆いてたって無様を晒すだけであるし
あまりに自己否定を繰り返しても本当に頭がおかしいヤツだと思われかねないが。

完璧な人間などいないだろうが、凡そ完璧に近い人間は存在する。
有名なところでいえばレオナルド・ダ・ヴィンチであろう。
この世のありとあらゆる分野において顕著な功績を残し
人類史上もっとも多才な人物だと言われている。

実のところ、私は非常に彼の影響を受けている。
物事の見方、捉え方。何よりその爆発的な飽くなき探究心は
この陳腐な人生に一寸の光を差してくれたといっても過言ではない。

完璧な人間などいないが、完璧な人間に近づくことは誰だって出来るのである。
たとえ行き着く先が完璧とは遠く離れていたとしても
そこへ向かって歩を進めることこそが私にとっては努力だといえるし
その努力こそが私にとって生きるということだと言える。
だから生きるということは大変なのだ。

漁夫の利の巻

2013年04月23日

政治家の靖国参拝に関してメディアのみなさんが相変わらずご奮闘されているようだ。
まったくご苦労なことである。
反日利権がどれほど儲かるのかが伺い知れるではないか。

しかしながら、電通の私利私欲のために
我々の受け取る情報の隅々まで統制・捏造されていると思うと非常に不気味だ。
さすがCIA日本支部といったところか。

何はともあれ、テレビなんてものはただの娯楽であって
そこから何かを得ようだなんて考えるべきではない。
所詮、一部の人間が儲かるように仕向けられた映像工作である。
退屈なもんだ、まったく。

『田舎に泊まろうinラオス共和国』とかやってくれないだろうか。
何なら勝手に制作して放送局に売りつけてみるのも面白い。
チャンネルシックスなら協力してくれるかな。ふふふ。

ウスターソースを置いていない定食屋の巻

2013年04月22日

ソース界のマルチタレントがとんかつソースだとすれば
ウスターソースは間違いなく個性派タレントだと言える。

表立った活躍を見ることが少ないウスターソースではあるが
その底知れぬ才能は他を寄せ付けぬほどに抜き出ている。

元来、メンチカツにはウスターソースしか認めていない私は
ウスターソースが常備してあることを前提にメンチカツ定食を注文するわけだが
時折、ウスターソースを置いていない定食屋が存在するのである。
まさに青天の霹靂。
考えられない。
ハッキリ言ってしまえば、私は別にメンチカツが食べたいわけではない。
ウスターソースにまみれたメンチカツが食べたいのだ。
ここが重要である

有無を言わさず店のおばちゃんに
『ウスターソースありますか?』と問うてみるものの
『ごめん、ウチとんかつソースだけやねん』とくる。

『メンチカツにはウスターやろがい!』とババアの胸ぐらを掴みそうになる衝動を抑えて
『仕方ない。今日はとんかつソースで我慢するか』と
なんだか負けたような切なさを抱えながら
渋々と昼食を終わらせる私の心情をお分かり頂けるだろうか。

手ぶらの巻

2013年04月21日

基本的に手ぶらで行動したいタイプである。
バッグなんかを持って歩くのは億劫で仕方がない。
だから最近は写真でさえ専ら携帯で撮っている。

しかし、もう財布でさえ持ち歩くのが億劫になってきて
そろそろ『金』の在り方を変えていくべきではないかと思う。
金なんてものはただの価値交換媒体であって
別に『平たくて硬いもの』じゃないとダメってわけではない。

そもそ も昔は貝殻だったわけだし。
それが青銅とか鉄とかの金属に変わって
寛永通寳あたりから同じ様な形で落ち着いている。

一体今は西暦何年だと思ってるんだ。
こんなデジタル時代に、わざわざ硬貨が必要だとは思えないし
何かしらデジタルチックな新しい代案がありそうではないか。

昨日から頭の中は金のことばかり。
金のなる木でもあらんかや。

印税の巻

2013年04月20日

村上春樹の新作が発売1週
間で100万部を突破したとか。
まるで宗教だなと、そう思ってしまうのも無理はない。
Jポップのトップアイドルが壮絶なプロモーションをして
やっと年間の売上が180万枚なんだから
いかに音楽業界のGDPが低いかが伺える。

村上春樹の新作は1780円。
印税は10%と考えて
単純計算でざっと1億7800万円が転がり込んでくるというのか。
こんな大金が転がり込んできてなお
新作の構成に意欲を生み出せるというのは凄いものである。
私なら有り金持ってハワイにでも移住するであろう。

取るに足りない日銭を稼ぎながら
こうして村上春樹の収入を計算しているような自分の見窄らしさにウンザリである。
日々の憤懣に振り回されながら
長く険しい道のりを、あえて足枷をつけて歩いております。

主観の巻

2013年04月18日

いつも個人的な主観で好き勝手にベラベラと能書きを垂れているわけだが
それをあまり快く思わない方もいらっしゃることだろう。
如何せん、出てくる話題は何かにつけて文句ばかりである。
基本的に何かを褒めることが苦手な私は
いつだって批判から切り込んでは嫌われる役を買って出てきた。

そりゃあ、人間誰だって褒められる方がよい。
咎められたり否定されたりで喜ぶような変態はそういない。

どうやれば素直に人を褒めることが出来るのか。
それはくだらないように見えて実は大きなテーマでもある。

そもそも褒めるというのは『相手の実力を認める』ということだ。
負けず嫌いの人間にとってそれがなかなか難しい。
『そう簡単に認めてたまるか』という思いや
『次ぐらいは褒めてやろうかな』という思いが交錯して
何とも歯痒い感情が胸を遮るのである。
そして、そういう人間ほど誰よりも褒められることを喜ぶのだからまた厄介だ。

私の場合、はじめから誰かに褒められるような生き方なんてしてないため
せめて自分より頑張ってる人ぐらいは褒めてあげようと思ってみたが
世間を見渡してみると全員自分より頑張っていたりするわけで
最終的には『俺だって何かいいところはあるさ!』と
自分で自分を褒めるという何とも不細工な生き様を晒す羽目になり
今日も自己嫌悪に陥りながらこのコラムを執筆している次第である。

 
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