JUG A BILLY CATS

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ウッシーのコラム

叩き売りの巻

2012年09月30日

ミスドがドーナツを半額で叩き売っていると知りつつも
なかなか行けず歯痒い想いを抱えて過ごしている今日この頃。

疲れた時はどうしても脳みそが甘いものを欲するわけで
これは言ってみれば本能的な中毒症状だと言える。

アル中が酒を欲するのと同じように
脳みその命令である以上、理性では抑えきれない。
うぉーー!甘いもん食いたい!!と思いだすと
仕事中でも電話中でもうんこ中でも関係なく
まるで高校男子の性欲のように衝動的な欲求が襲ってくる。
あぁ、甘いもの食いたし。


東京エスムジカはなぜ売れなかったのか。
2000年以降のJ-POPの中ではかなりぶっ飛んでるのに。
エスニック要素が強すぎたのか。
名曲多数あり。

SIMの巻

2012年09月29日

学生の頃からずっと日本の携帯事業のやり方が気に食わない。
なぜ通信事業会社が携帯端末を販売する必要があるのか。
本来、通信事業会社はシムカードのみを販売すればいいわけで
家電メーカーがシムフリーの携帯端末を独自に直売するべきだ。
そうすればユーザーは好きな端末を自由に選べるわけだし
事業の新規参入、消費拡大に繋がるのではないか。
いつまで今のやり方でいくつもりなのだろう。
いつの時代も利権か。

パン屋の明かりの巻

2012年09月28日

まだ日も昇らぬ朝方。
パン屋のシャッターから漏れる明かりを見ながら
あぁ、人生いろいろだなぁとしみじみ人生観に浸る。

一人一人に何十年という長さのドラマがあり
それが絡み合って大きな社会というヒューマンドラマが成り立っている。
運命なんていうと幼稚な物言いになってしまうが
実際に運やタイミングがバッチリ重なったりしたときは
『おぉ、これが運命というやつか』と一人興奮することもある。

自分がいなくたって社会に何の影響もないが
自分がいることで何か影響を与えることも可能だ。
となれば、死ぬまでに何か一つぐらい影響を与えてやろうじゃないかと
一人企みニヤニヤとするのもまた面白いものだ。

最終的にジジイになったら、田舎でのんびりパン屋でもしたいものだ。
私利私欲など捨て去り、忘却の日々を噛みしめるように生きてみたい。

ヒデブの巻

2012年09月27日

果たして民間人が宇宙へ行く日は本当に近いのだろうか。
一握の人間が科学の集大成に身を委ね大気圏を越えてきたわけだが
どうしても宇宙を体感することは今のところ困難である。

分厚い宇宙服の向こうに広がる壮大な宇宙を前にして何も出来ず
ガラスケースの向こうのオモチャを見つめる少年のように
何とも言いようのない躁鬱感を感じてしまうのではないか。

風を感じたり音を聴いたり匂いを嗅ぐことで実感を覚える我々人間は
それらすべてが遮断された宇宙空間で一体何を感じられるのだろう。
『うわーキレイやなー』なんて陳腐な言葉で終わらせるのは野暮だし
かといって宇宙服も脱ぎ捨てて全裸で宇宙遊泳に挑んでみたところで
北斗の拳の悪役みたいに豪快に死んでゆくのが目に見えている。

何事も、手に届かないぐらいがちょうどいいのかもしれない。

考察の巻

2012年09月26日

子供向け番組を大人の目線で考察するという
何の得にもならないことを昔からやってしまう癖がある。
全ての事象は見る角度によって見え方が変わってくるのだ。

子ども向け番組も然り。
例えばアンパンマン一つ取ってみても
『ジャムおじさん黒幕説』
『神道(アニミズム)とアンパンマン』
『バイキンマンは酵母菌かどうか』
こういう馬鹿げた側面的考察が山ほど出てくるわけである。

個人的に一番面白いのは仮面ライダーだ。
ショッカーだけで、もう一つ映画を作れそうなぐらい設定が濃い。
まずショッカーがナチスドイツの残党によって結成された国際秘密結社だということ。
もうこの時点で仮面ライダー本人に興味なしである。
ショッカーをただの悪役だと片付けてしまうのは余りにも勿体ない。

いっそのことショッカーを主人公にして
第三帝国への道のりを描いたショッカー視点の物語を作ってみてはどうだろうか。
脚本ならいくらでも書くよ。

枯山水の巻

2012年09月25日

日本には古来より
『物事は完成した時点から崩壊が始まる』
なんていう何とも惚れ惚れするような考え方がある。

それに伴い、日本には未完成のまま完成を迎えた建造物はいくつもある。
始まりは日光東照宮だと言われているが
その真相は誰も知る由もない。

何とも奥深いなぁと思うものは、やはり龍安寺の石庭だ。
枯山水としてあまりにも有名なこの石庭だが
ハッキリ言ってしまえば、ただ砂利と石が転がった庭である。
そんな砂利と石だけで、水を使わずに風景を表現するのが枯山水の極意なわけだが
一流の芸術家ならまだしも一般人が到底理解できる代物ではない。

石庭には15個の石が散らばっていて
どの角度から見ても14個しか見えないように造られている。
つまりこれが未完成という名の完成形態だ。
やはり昔の先人たちは狂っている。
そもそも考えている領域がぜんぜん違う。
ジジイになって死ぬ間際に、ようやく理解できそうな
そんなぶっ飛んだ世界観であることは間違いない。

坂の巻

2012年09月24日

今更ながら、漸く【コクリコ坂から】を観終えた。
まぁ、宮崎ファミリーのイデオロギーも相変わらず健在だが
一つの映画作品としては吾朗もなかなかやるじゃあないかと
まるで父親が息子の成長を鑑みるように妙な安堵感が胸を撫でたのだった。
何様なんだと怒られても仕方がない。

以前にも言ったように、私は映画の評論というのが嫌いだ。
芸術の本質というのは観る人の人生観、価値観によって変わってくる。
つまり、最終的に脚色を加えるのは観る側なのである。
それを一個人が知識人ぶって能書きを垂れるのはあまり好きではない。

だから、あえて評価の悪い映画や書き物に手を出すのも面白いものだ。
本当につまらない物に時間を費やしてしまった時の虚無感は避けられないが
それはそれでいつか話のネタになれば良しとしよう。

雑巾の巻

2012年09月24日

ガソリンスタンドの窓を拭く雑巾はなぜいつもあんなに汚いのか。
どこのガソリンスタンドでもそうだ。
まるで床を拭いたような真っ黒な雑巾で
徐に窓を拭かれても変な不快感が残るだけである。

今の時代、100均で何枚も入ってるのが売ってるだろうし
漂白するとか、何かしら綺麗に保つ方法はあるだろうに。
こちらとしても
『もっとキレイな雑巾で拭いてくれませんか』
なんて言いにくいし、ましてや乗ってる車がポンコツなもんだから
『車はポンコツのくせに!』なんて笑われそうで怖い。
もし私がピカピカのベンツにでも乗ってる成り金なら
『そんな薄汚れた雑巾で私のベンツを拭く気かい?』と捨て台詞を吐いてやるのだが。
まったく困ったものだ。

接客サービスというのは客に気持ち良く帰ってもらうのが仕事じゃないのか。
ただ目の前の仕事を作業的に片付けるだけなら子どもでも出来るぜ?

これを見てるスタンド店員の方がいれば、ぜひ改善して頂きたい。
ご褒美上げるから。

エネルギーの巻

2012年09月22日

何かを造ったり、何かを生みだしたりするエネルギーというのは
やはり自分の育ってきた環境に大きく影響されるのではないか。
田舎で生まれた人間にとって発想力こそ生きる術であって
山、川、田んぼ、墓地しかない田舎でいかにして遊びを見つけるかが重要になる。
刺激がない分、自分たちで刺激を生み出そうと活発になるのも事実で
それが大人になって新しくアイデアを生む時に役立ったりするものだ。

つまり、アイデアに乏しくスランプ気味の時は
田舎へ帰ってみるのが一番の解決策かもしれない。
生まれ育った山や川で素っ裸になって奇声上げながら走り回れば
何かしら脳みそに刺激が加わるかもしれない。
都会と違って寛大な人が多いので通報されることはまずないだろう。
通報されたところで駐在所の警察官は顔見知りである。


長月の巻

2012年09月21日

長月の夜。
時折り揺らめいては高く昇ったまま
ただ初秋の訪れを静かに知らせる月の下で
一掬いの哀愁は灰塵に消え去って
夏の終わりを惜しむ暇さえないまま
一片の日常は荻の声に埋もれてゆく。

そうだ。
もうこれは完全に秋がやってきたんだ。
飛鳥時代の人だって江戸時代の人だって
きっと同じように秋の訪れに歓喜していたに違いない。
歓喜しすぎて奇声を上げていたに違いない。
オータムインオオサカ。
よし、バイクで田舎に帰ろう。

 
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